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6.優駿と宰(8)

「美鳥さんっ……」  何度呼ばれても、宰は応えない。応えないどころか、頑なに何も聞こえないふりをする。 「自分勝手で、空気も読めなくて……、好奇心と勢いだけで人を散々振り回すっ……」  そんな相手、こっちから願い下げだ。もう二度とお前の顔なんて見たくない。  思うのに、強く拒絶すればするほど鼻の奥がツンとして、目頭が熱くなる。胸が切なく締め付けられて、どんどん息が苦しくなる。  これではあのときと変わらない。  いや、今回の方が酔っていないだけ余計に悪い。  何もかもが予定と違う。予想と違う。  宰は何度もかぶりを振った。 (冗談じゃない……)  こんな――こんな自覚の仕方なんて。  (……最悪だ)  いつの間にか、一筋の涙が頬を伝い落ちていた。 「美鳥さん、待って、違うんです……!」  そんな宰を、不意に背後から優駿が抱きしめる。宰が取り乱した姿など初めて目にしただろうに、優駿は怯むことなく回した腕に力を込めた。 「ごめんなさい、俺、美鳥さんを拒絶したわけじゃなくて」  宰の背中に、優駿の衣服の水気が染み込んで行く。冷たいはずの温度が、共有するだけで酷く温かく感じられ、それがまた宰の心を掻き乱す。 「離せよ、触るな。もうお前に用は無い。わかったらとっとと帰――」 「こんな状況でも……俺、美鳥さんに触れたいって……、そんな風に、一瞬でも迷った自分が許せなかったんですっ……」  痛いほどに抱きすくめられ、切なく言い募られると、本意でなく涙が溢れた。 (有り得ない……、なんで、俺が……)  優駿の言葉に、その腕の力に、信じられないほど心を揺さぶられている。  ぱたぱたと、床に敷かれた絨毯の上に幾つもの雫が落ちる。暗色のそれに染みは目立たなかったが、宰に自分が泣いているのだと知らしめるには十分だった。

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