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7.好きなら回れ右をしろ(3)
宰のいる出入り口から喫煙所までの距離は、精々歩いて五、六歩と言ったところだ。
壁伝いに左折するとは言え、たったそれだけしか離れていないため、確かにドアを開けた時、そこで誰かが話していればその声がいくらか聞こえてくることはあった。
だが、それにしても近かった気がしたのだ。
風向きのせいだろうか?
それとも――単にそれだけ意識していたと言うことなのか?
「佐々木の対応はどうだった? 確か顔見知りなんだよな?」
「とっても良かったです。説明とかも丁寧すぎるくらい丁寧で……」
どきどきと未だ心臓のうるさい宰に反して、その存在に気付かない二人は平然と会話を続けていた。
先程よりは小さいが、相変わらずわずかな隙間から漏れ聞こえてくるその声に、宰は無意識に息を潜めて耳を傾けた。
(……いつもと変わんねぇな)
優駿の態度は、あくまでも普段通りに思えた。
宰の方はこれからどう接するべきかと散々頭を悩ませていたのに、優駿にしてみれば、今まで散々してきた告白と大して変わらない出来事に過ぎなかったのかもしれない。
(何だよ、気にして損した)
思い至ると、少しだけ冷えた頭で宰は周囲を見渡した。
大丈夫、今なら誰にもバレていない。目が届くところにいる守衛は手元の新聞に没頭しているし、他には人の気配もない。
宰は一つ息をつき、こんなことならやはり上に戻ろうと思い直した。
「――あの」
しかし、そう決めた途端、引き止めるかのように優駿が口を開く。しかもそれまでとは違う様子で、酷く言い難そうに。
「チーフさんは……」
宰はドアに顔を寄せ、息を詰めた。
「チーフさんは、美鳥さんが好きなんですか……?」
らしくなくおずおずと紡がれる声。その内容に思わず目を瞠る。同時にさぁっと血の気が引いていくのを感じた。
ややして柏尾が小さく笑う。
それから何でもないみたいにあっさり答えた。
「好きだよ」
その瞬間、どくんと大きく心臓が跳ねた。
……何、言って――。
鼓動がどんどん早くなる。頭の中が真っ白になり、目眩を覚えて額を押さえた。
今更柏尾の言葉に驚いたわけじゃない。
もともとそれに似た戯れをしょっちゅう口走っている男だ。本気とも嘘ともつかないその言動に、宰が心を動かされたことは一度もなかった。
けれども、それを聞いた優駿はどうだろう。
結果無傷だったとは言え、一応交通事故に遭うくらい二人の関係を気にしていたくらいだ。
きっと馬鹿正直にそのまま受け取って、また妙なところで考えすぎたりしてしまうかもしれない。
(どういうつもりなんだよ……)
束の間落ちた沈黙に、優駿の動揺が伝わってくるようだった。宰は強く歯噛みして、汗ばむ指先を握り込んだ。
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