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7.好きなら回れ右をしろ(4)
「まぁでも、残念ながら俺は宰の好みじゃないんだよ」
先に沈黙を破ったのは柏尾の方だった。
「――え、……え? それってどう言う……。だって、二人は付き合っているんですよね?」
「付き合……そりゃ、付き合いだけなら、あるにはあるけど――」
(いや、だからなんでチーフもわざわざそういう言い方っ……)
思わず声に出してしてしまいそうになり、宰は慌てて口を押さえる。
「だ、だって……っ」
その刹那、優駿の声が切羽詰まったように上擦った。
「だって美鳥さん、きっと柏尾さんの為に俺を遠ざけようとしたんですよ! 本当は嫌なのに……わざわざ我慢して俺と――」
畳み掛けるように言われた言葉が、一拍遅れで頭に届く。改めてその意味を理解すると、一気に全身から力が抜けていくのを感じた。
(もう死にたい……っていうかお前ら二人そろって死ね!)
いまにも崩折れてしまいそうなのを辛うじて堪える。拳をぎゅっと握りしめ、心の中で毒突いた。もはや八つ当たりでしかない自覚はあったが、それ以外の言葉が見つからなかった。
「まぁ、小泉君がどうとったかはともかく……宰が俺のためにーなんて、俺には『有り得ない』としか言えないな」
「どうしてですか?」
「だからさっきも言ったけど、俺は宰の好みじゃないんだって。宰の好みはもっと……」
こめかみから冷や汗が伝い落ち、乾いた唇が小さく戦慄く。
扉が重いのが不幸中の幸いだった。宰は既にそれに縋るようにしていなければ立っていられなくなっていた。
「もっと、なんですか」
勿体つけるように置かれた間に、優駿がせっつくように問い返す。宰は祈るように目を閉じた。これ以上余計なことは言うなと、祈るだけ無駄だと分かってはいたけれど。
案の定、柏尾はあっさり言葉を継いだ。
「ああ、俺なんかよりもっと純粋一途で、どちらかと言えば不器用、賢いかバカかで言えばバカな方で、世話は焼かれるより焼いてあげたくなるような……で、あとは何よりひたむきに努力できる子だな。――要するに、俺とは違うタイプってこと。少なくとも俺はそんなキャラじゃないからな」
「そう……なんですか。なんか……俺、それに近づけるかな」
「え…………なんなら鈍感も追加しとく?」
(ありえねぇ……)
宰はよろよろとその場を離れた。二人はまだ話を続けていたようだったが、それ以上はもう聞いていられなかった。
* * *
「ねぇ、そう言えば小泉君の携帯、もう機種代の支払い終わってるわよね?」
お盆も間近に迫った八月のある日、昼休憩から戻ってくるなり、薫は長い睫毛に縁取られた瞳を大きく瞬かせた。
(わざわざ思い出さなくていいですよ)
宰は内心げんなりしつつも、表向きは何でもない風に「そうでしたっけ」と答えた。
それを聞いた薫は、ますます捲し立てるように言った。
「そうでしたっけじゃないわよ。あの子が一番最初に機種変したいって言ってきたのが六月の頭よ? そこから数えてたってもう二年は経ってるんだから――ほら、とっくに支払い終わってるじゃない」
(よく覚えてるな……)
宰は密やかに嘆息し、手元の書類を一旦閉じた。丁度きりの良い所でもあった。
確かに優駿の携帯は、薫の言うように既に契約から二年が過ぎており、現在は割引も残債もない状態だ。薫の記憶は間違っていない。
とは言え宰だって、本気で忘れていたわけじゃなかった。ただ、そんな話を本人のいない所でしても仕方ないと思って――だからずっと忘れたふりをしていただけだ。
だってその本人は、
「なのに何で最近来ないのかしらね。まさか自分で忘れちゃってる、とか?」
優駿は、あの日――喫煙所で柏尾と話をして以来、一度として店に顔を出していないのだから。
「まぁ、いつ変えるかなんて本人が決めることですよ」
愛想笑いを向けて返すと、薫は一瞬意外そうな顔をした。それだけで何だか責められているような心地になり、宰は誤魔化すように言葉を継いだ。
「じゃあ俺も休憩貰います」
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