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7.好きなら回れ右をしろ(5)
「なんだ、美鳥も今から休憩? 俺もなんだよ。あれだったらどっかその辺で一緒に食わないか」
休憩室に入ろうとすると、丁度前方の給湯室から出てきた柏尾に声をかけられた。
「……いいですけど」
特に断る理由も見つからず、宰は淡々と承諾した。
柏尾が近づくにつれ、ふわりと鼻先を煙草の匂いが掠めた。なるほど、わざわざ給湯室に立ち寄っていたのはその為か。
「いい加減その気がないなら口に出さないほうがいいんじゃないですか」
「ん? ……あー、ばれた?」
「隠そうともしてないくせに」
もう何度聞いたか知れない『禁煙』と言う言葉を暗に示し、宰は皮肉を口にする。柏尾は苦笑気味に笑い、「相変わらず手厳しいな」と戯れにぼやいた。
店を後にした二人が向かった先は、以前も何度か一緒に昼食をとったことのある喫茶店だった。
カラン、と澄んだドアベルが店内に響く。笑顔で迎えてくれた店員に従い、通されたのは今日も窓際の席だ。
「なんかこうして二人で会うの久しぶりだな」
二人がけのテーブル席に、向かい合って座るなり柏尾がそう言って笑う。「そうでしたっけ」と宰が返すと、僅かに肩を竦められた。
「だってお前、最近つれないじゃん」
「そんなつもりはありませんけど」
「じゃあ、例えば今、『明日飲みに行こう』って誘ったらどうすんの。やっぱ『気が乗らない』んじゃないの」
いつも通りの声音と態度。しかし、宰の方はいつも通りには返せなかった。
「……それは……」
らしくなく言葉が出てこない。
柏尾の言うように、「気が乗らない」とひとこと言ってしまえば終わる話だ。なのにそれがなぜか言い難い。
そろそろ限界なのだろうか。いつまでもそうして誤魔化せることじゃないと、自分でも感じ始めているのかもしれない。
そうじゃなくても、こんな風に頭を悩ませることに、考えることに辟易する瞬間が増えてきているのは確かだった。
(もう、いいか)
優駿は来ないし、柏尾は相変わらずだし。
それなら優駿に会う前の状況に戻っただけだ。自分も同じ頃の自分に戻れば、きっとずっと楽になれるに違いない。
――少なくとも、いまよりは。
「先月なんて、飯食いに行くことすら断られたしな」
「……夏バテしてたんですよ」
食欲がなかったのは嘘じゃないと、半ば他人事のような口調で答える。
直接の引き金は、優駿が宰の前から姿を消したことだったように思う。
あの日を境に、優駿は店に来なくなり、そして宰もまた、その頃から柏尾と二人きりになるのを避けるようになっていた。
今でもあの時の柏尾に対し、「余計なことを言いやがって」とは思っている。だがそこに触れると盗み聞きしていたことがばれてしまうし、何より時間か経つにつれ、そこまでする気力も失せていたため、結局何も言わずじまいだった。
そのくせ柏尾を避けていたのは、いつからか芽生えていた罪悪感のようなものが、急に大きくなったように感じられていたからだ。
今までの自分に対し、そして優駿に対して、宰は酷く後ろめたいような気分になり、それこそ「気が乗らない」としか言えなくなっていた。
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