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8.epilogue(1)
「あれからまた顔出さないわねぇ、小泉君」
エスカレーターの方を眺めながら、薫が残念そうに独りごちる。
聞こえよがしなそれを受け流し、宰は手元の書類を黙読し続ける。
機種変更をしたあの日から、優駿はふたたび店に顔を出さなくなっていた。
すでに数週間が過ぎているというのに、まったく姿を見せない優駿に、しびれを切らしたように薫は言う。
「休憩時間にでも電話してみようかしら。なんかすごく気になるわ」
優駿のことを気にかけているのは、薫だけではなかった。さすがの存在感とでも言うべきか、今でも毎日誰かが話の種にしている。「今日は来るかな?」と、「いると騒がしいけど、来ないとなんか寂しいですね」とは、店長までもがこぼしていた台詞だ。
「ねぇ、本当に何か知らないの?」
否、宰はその理由を知っている。
簡単に言えば、バイトが忙しいからだ。そしてその忙しいバイトの合間を縫って、無理矢理にでも会いに来ようとするのを、宰が許可しなかったから。
夏休み一杯で一息つけるというバイトが終われば、またどうなるかはわからないが、少なくとも今は、そんな暇があるなら身体を休ませろときつく言い聞かせていた。
そうでなければ、自分と会ったときにまた居眠りでもしてしまうだろうと――そうなったとして、自分はそれを責められないじゃないかと、体調を心配する一方で抱くそんな思いを言葉にしたことはなかったが。
まぁどのみち、その“宰が知っている”ということ自体、職場の人間は知らないはずで――。
と、思っていたけれど、どうやらそれを見抜いている者もいるらしい。宰をよく知る二人――同じ売り場を任され、優駿ともよく話をしていた薫と、あの夜、直前で約束をキャンセルした相手、柏尾だ。
かと言って、わざわざそれを自分から開示する気にもなれず、宰はあくまでも他人事のように振る舞っていた。
「バイトが忙しいだけじゃ、理由にならないわよね。今はまだ夏休みのはずだし」
目の前でわざとらしく独り言を繰り返されても、素知らぬ顔で書類をめくる。
「ああ、もう」
すると客がいないのをいいことに、暇そうにカウンターに頬杖をついていた薫が、突然宰へと向き直った。
「いい加減白状しなさいよ」
どうあってもしらを切り通そうとする宰に我慢できなくなったのか、薫は更に注意を引くべく、天板を叩いた。
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