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番外編2『ある冬の日のこと。』(2)

「ずっと何も口にしてなかったんですか? 今食欲はあります?」 「まぁ少しなら……」  優駿が持ってきた瓶入りの林檎ジュースは、今まで飲んだどの林檎ジュースより美味しかった。  聞けば親から送られて来たとのことだから、きっと値が張る代物なのだろう。優駿の育ちを考えれば想像に難くない。 「俺、お粥作りますよ。……具は何がいいですか?」 「具って……いまは卵くらいしかうちにはねぇけど」  宰は空になったグラスを優駿に渡しながら、小さく瞬いた。  優駿の持ってきた薬のせいか、あるいは人と話すことで気が紛れているのか、辛かった頭痛も吐き気も随分ましになってきていた。 「大丈夫です、材料も持って来ましたから」  優駿は受け取ったグラスにジュースを注ぎ足すと、それを宰の手に返し、次にはいそいそとキッチンに戻った。 「すぐに用意しますね!」  ベッドの上からでは見えない場所から、はりきってガサガサと袋を探る音が聞こえてくる。ぱかっと箱のようなものを開ける音もした。 (て言うか……そもそも料理したことあんのか……?)  思えば優駿の部屋のキッチンは、いつ見ても綺麗で――と言うより、最初からほとんど使っていないようにしか見えなかった。  今でこそたまに宰が使っているが、その場合も優駿はとにかく嬉しそうにその様子を眺めているだけで、手も口も出してきたことはない。 (嫌な予感しかしない……)  宰の胸中を、一抹の不安が過ぎる。それでも一応は黙ってグラスに口をつける。  その時だった。 「美鳥さんカニ好きですよね~?」  開けっ放しのドアの向こうから、ひょっこり姿を現したのはまるごとのタラバ蟹。しかもしっかり生きている様子。 「……っ…」  思わず吹きそうになったジュースを何とか飲み干し、宰は咳込む。 「あとですね……これとか」  荷物を探るのに夢中の優駿は、カニを引っ込めるなり、今度は特大のシメジ……ではなく立派な松茸をひらひらと振って見せた。  唖然とする宰を他所に、優駿は続ける。 「他にはちょっと小さいけど、フカヒレとか……、あとツバメの巣もありますよ!どれも身体にいいんですよね」  優駿の語尾には明らかにハートがついている。悪気がないのは明らかだった。 「……あのな…」  そうかといって、あの広いとは言えないキッチンいっぱいに広げられているのだろう高級食材を思うと、宰は眩暈を禁じ得ない。堪えきれず目元を押さえて脱力する宰に、優駿は更なる追い討ちをかけた。 「あ、それとも実家のシェフ、ここに呼びます?」     *  *  * 「美味しいですっ……やっぱり美鳥さん料理上手!」  数時間後、宰の主食になるはずだったそれを、満面の笑みで食べていたのは優駿だった。  もちろん宰の分もあるにはある。しかし、宰の方は数口食べただけですぐにその手を止めてしまった。 「上手って……ただの卵粥だろ」  溜息混じりに言ってスプーンを置くと、優駿が心配そうに身を乗り出してくる。 「美鳥さん? やっぱり食べられそうにないですか?」 「まぁ、先に味見でちょっと食ったし……」  予想に違わず、やはり優駿は料理らしい料理はできなかった。おかげで何もかもいちいち教えなければならず、かえって疲れてきた宰は比較的早い段階で「もういい」と優駿をキッチンから追い出した。どう考えても自分で作る方が早いし楽だったからだ。 「いいよ、お前は食ってれば。……俺はちょっと寝る」 「あ、じゃあせめて何か飲み物」 「いまはいい……」  咄嗟に空のグラスに手を伸ばそうとする優駿に背を向け、宰は寝室に戻る。布団に潜るとすぐに目を閉じて、細く長い息をついた。  頭痛が増して、少し熱がぶり返しているような気がした。  そもそもどうして病人の自分が元気すぎるアイツの面倒を見なければならないのか……。こんなことなら放っておいてくれた方がきっとずっとゆっくり休めたはずだ。  頭ではそう思うものの、口に出せないのはそんな優駿でも帰って欲しいとまでは思っていないからだろうか。  あまり認めたくはないけれど、こんな時、人は妙に心細くなると言うし……。 (……風邪、うつってもしらねぇからな)  宰は瞑目したまま、思考の片隅で優駿の気配をぼんやり意識しながら、やがて眠りに落ちていった。

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