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番外編2『ある冬の日のこと。』(3)
* * *
(ここは……)
宰は見慣れない天井を茫洋と見上げる。目の前の壁面には沢山のグラスとリキュール類が並んでいた。
遅れて、自分がどこかのバーのカウンターに座っていることに気付く。心の中に穴が開いたようで、酷く人恋しい気分だったことも思い出した。
その数時間前、宰は昔好きだった後輩(男)を数年ぶりに見かけたのだ。
時刻は二十二時頃だったか――街の雑踏の中、男は幹線道路を挟んだ向こう側にあるコンビニから出てきたところだった。
男は宰に気づかなかった。遠目だったこともあり、宰も声をかけることはしなかった。しなかったと言うより、できなかったと言うべきだろうか。
ともあれ宰は、すぐさま見なかったことにしようと思った。気付かなかったふりをするのが賢明だと自分に言い聞かせた。それなのに、一度〝彼〟を捕らえてしまった視線はなかなか逃せなくて――。
男の隣に、小柄で童顔な女性がぴったりと寄り添っているのがはっきり分かっても、身体はまるで言うことをきいてはくれなかった。
「やっぱ俺、男はないです」
と、囁くように言う男の声が耳を掠めた――ような気がした。
「美鳥さんならもしかしてって思ったんですけどね。ぶっちゃけその辺の女よりきれいだし。……でも、やっぱ無理なもんは無理でした」
現実ではないのに、そうとしか思えない鮮明さを持って過去の記憶が蘇ってくる。
「全部無かったことにしてくださいね。こんな気の迷い、もうたくさんですから」
先輩も早く彼女作ったらいいんですよ。
心の奥底に刻まれていた言葉が浮かび上がり、目の前の光景に嫌でも重なった。
自分とは明らかに異なる、可愛らしい女性。彼が求めていたのは本来はああいう女性なのだと――あの日のことは、単なる気の迷い、言うなれば犬に噛まれたようなものだったのだと改めて突き付けられたような気がした。
男の腕に自分のそれを絡め、胸を押しつけるようにしながら微笑む女性の額を、慣れた様子で小突く男。そこに浮かぶ表情は随分大人びたように見えて、どこか見覚えのあるあどけなさが残っているようにも見えた。笑うと少しだけ幼くなるその笑顔が、宰はずっと好きだった。
やがて二人は人ごみの中へと消えた。
宰はようやく許されたように息を吐き――それから弾かれたように踵を返した。
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