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番外編2『ある冬の日のこと。』(7)

 ベッドを下りると、ふらつきながらもキッチンへ向かった。病み上がりの気怠さに足取りは重く、ずっと横になっていたからか、何度か貧血めいた目眩に襲われ、そのたび家具や壁に手をついた。それでも何か飲みたくて、カップボードから取り出したグラスを手に冷蔵庫を開ける。  その刹那――。 「ア、イツ……っ」  危うく、持っていたグラスを取り落としそうになった。それを辛うじて受け止めた手が、信じ難い光景にわなわなと震えた。 「こ……」  普段はあまり料理しないし、特に買いだめする質(たち)でもないため、ほとんど空に近かったはずの冷蔵庫が、溢れんばかりの食材で埋め尽くされていた。その多くは例の高級食材だった。しかも更に量が増えている気がする。詰め込まれた隙間から、一匹分どころではないカニの足が覗いていた。  宰はぶり返す強い目眩に額を押さえ、無言で冷蔵庫のドアを閉めた。  同時に、インターホンのチャイムが鳴る。次いで、はっとしたように外から施錠が解かれた。期間限定という条件で、貸していた合鍵の存在を思い出したらしい。 「ただいま帰りました! 宰さん! 調子はどうですか?」  お邪魔します! と聞き慣れた声に続き、間もなく姿を現したのはもちろん優駿だ。 「あ、もう起きられるくらいにはなったんですね。良かった……」  呆れ果てるあまり、半ば放心状態となっていた宰に、優駿はいつも通りの明るい笑顔を向ける。 「――良かったじゃねぇよ」  しばしの間ののち、ぷつりと何かが切れたように宰は低く呟いた。かと思うとゆらりと顔を上げる。 「あれ、でも何かまだ顔色が……」  それを見た優駿が、両手に持っていた紙袋をテーブルに下ろす。宰の頬に触れようと手を伸ばすその横で、袋の端から伊勢エビのひげらしきものがびよんと飛び出してくるのが見えた。新たな差し入れに違いなかった。それを引き金に、宰は叩きつける勢いでまだ空だったグラスをテーブルの上に置いた。 「顔色は風邪のせいじゃねぇ……」  そして喉が痛いのも構わず声を上げた。 「何もかもお前がバカだからだよ! もういいから持ってきたもの全部持ってとっとと帰れ!」    優駿がなかなか風邪をひかないのも無理はなかった。           END(番外編3に続きます)

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