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番外編3『ある春の日のこと。』(3)
「え……」
隣で柏尾が僅かに瞠目する。
「お前――…」
危うく落としそうになった銜え煙草を口から外し、驚いたように宰の顔を見た。間もなく運ばれてきたカクテルグラスが、宰の前にそっと置かれた。
「なんですか」
まだ何か言いたそうな柏尾を余所に、宰は早速グラスを呷る。一度も止まることなく喉を鳴らして、あっという間に中身を空にした。
三十度近くあるアルコールが、遅れて喉の奥へと火を灯す。くらりと眩暈のようなものを感じたかと思うと、たちまち全身を心地良い浮遊感が包み込む。ゆっくりとグラスを下ろした宰の口から、熱っぽい吐息が漏れた。
「……暫く外で酒は控えるんじゃなかったの」
先までとは明らかに変わった表情に、柏尾が呆れたように息を吐く。
「それは相手によります」
「そんな信用されてもねぇ」
「面倒なら放っておいてくれていいですよ」
「またお前はすぐそう言う言い方をする――…」
気怠げに潤んだ宰の眼差しから逃げるように、柏尾は灰皿に目を遣り、持っていた煙草の火を消した。そして諦めたように自身もウイスキーの追加を頼むと、新しく取り出した煙草にふたたび火を点けた。
* * *
「――え、何、今更そんなこと?」
「今更、っていうか……今になってようやく実感したっていうか」
強くもない酒を更に注文し、グラスに口をつけながら、宰はどこか独り言のように言う。
「解ってたことだけど、やっぱ俺とアイツじゃ、住む世界が違うんですよ」
視界はずっとふわふわと揺れていて、そんな自分を支えるように頬杖をつく。ぼんやりとした瞬きを繰り返し、気だるげに息を吐く宰の横で、柏尾が苦笑気味に笑う。
「いや、それこそ今更って言うか……。まぁでも、とりあえず今は上手く行ってんでしょ」
「それはそうですけど……。でも、少なくとも一年後には終わってると思います」
「一年? ……ああ、大学卒業するから?」
宰が曖昧に頷くと、柏尾は手元の灰皿に短くなった煙草を押し付け、僅かに片眉を引き上げた。
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