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番外編3『ある春の日のこと。』(6)
「父方の伯母で、春名優子さんです」
優駿の紹介を受け、優子が小さく頭を下げる。
――何だか嫌な予感がする。
思いながらも、ひとまず宰も会釈を返した。
「……初めまして。美鳥宰と言います」
すると優子が、「あぁ」と胸の前で軽く手を打った。
「あなたが美鳥さんなのね」
「え……」
「はい。美鳥宰さん。俺の大切な人です」
戸惑う宰を余所に、横から被せるように優駿が口を挟む。
“大切な人”――その言葉に、ぎくりと大きく心臓が跳ねた。
「……そうですね。小泉さんにはいつもたいへんご贔屓にしていただいておりますので、こちらも大切にお世話させていただいております」
宰は一瞬動きを止めたものの、すぐさま平然と言葉を並べた。営業スマイルよろしくにっこりと微笑み、
「春名さん、この度はご尽力頂き本当にありがとうございました。お言葉に甘えて、楽しませていただきます」
と、途中からはずっと優子の方だけを見て、最後に「では」ともう一度頭を下げた。
「え、美鳥さ……」
踵を返した宰の背後から、優駿の驚いたような声が聞こえたが、それにはもう反応しない。
反応しないどころか、残っていたスタッフに合流するなり、宰はあえて柏尾に話しかけた。
「チーフ、俺と同じ部屋ですよ」
「そうらしいな。あとは誰だっけ、三人部屋だったよな」
「篠原さんですね」
優駿の視線を感じながら、見せつけるように柏尾との間合いを詰める。もしかして追ってくるかと思ったが、意外にも優駿はその場から一歩も動かなかった。
(ふざけんな……マジありえねぇんだよ)
宰は締め付けられるように胸が痛むのを余所に、心の中で何度も呟いていた。
* * *
(来るんじゃなかった……)
先日のバーで、柏尾に“ちょっと離れてみるとか”と言われたこともあり、どうにか気持ちを切り替えて参加したつもりの旅行だ。それなのに、そうして訪れた先に当人がいたのでは話にならない。
(帰りたい)
もう何度同じことを願ったか知れない。宰はため息をつきながら、恨めしげに隣の席を見た。御膳の用意はされているものの、誰も座ろうとしないその席は、確認するまでもなく、優駿のために空けられている席だった。
十八時になると、予定通り大広間を貸し切っての宴会が始まった。
早速温泉に浸かってきた者、後回しにした者、それぞれが揃いの浴衣姿で席に着くと、店長からのちょっとした挨拶に続いて、柏尾が乾杯の音頭をとった。以降会場はすぐに無礼講と称して交わされる酒や会話で盛り上がり、開始からたった一時間で、すっかり出来上がって半裸状態になる者も現れるくらいだった。
けれども、それから更に一時間が過ぎても、優駿の席は未だ空席のままだった。
聞けばもともと個人的な用事で旅館に来ていることもあり、下手をしたら宴会中に顔を出すのは無理かもしれないとのことだった。
(それなのに……ていうか、そもそもなんで部外者のアイツの席が当たり前みたいに用意してあるんだよ)
茫洋と見詰めていた隣の席から、少し遠くの席に座っている店長に視線を移す。
自ら計画を立てたこともあり、最初から何もかも知っていたのは店長だけだった。この旅館が優駿に縁があることはもちろん、その日優駿が来ているかもしれないことも。
そして実際に来ていたから、当然のように優駿の席も用意したのだろう。
いつだって“ぼんやりにこにこ”という印象が強い男だが、その実、かなりのやり手だということは職場の誰もが知っていた。部下からの信頼も厚く、現に結果も出しているため、当然上からの評価も高い。その手腕には確かに目を引くものがあると宰だって認めている。
認めてはいるが――さすがに今回ばかりは感心できなかった。
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