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短編1『後輩Aの独白』
「お久しぶりです。憶えてます? 俺のこと」
俺の問いかけに、先輩は何も答えなかった。
何も答えないどころか、顔すら上げてくれない。
本当に忘れてしまったんだろうか?
「美鳥さん? ……いや、美鳥先輩って言った方がいいのかな」
でも、何となく反応があるから、完全に忘れてしまったわけじゃなさそうな気もする。
だとしたら、恐らくそれはもう俺のことなんか思い出したくないってことで、
「嘘、マジで憶えてなかったりします?」
そう考えると――案外ショックは大きかった。
……? ショック?
何で俺がショックを受けるわけ?
え、マジで意味がわからない。
それをごまかそうと大袈裟に苦笑してみる。
だけどそのかいもなく、胸の奥が締め付けられるようにせつなく疼いた。
「ねぇ、先輩。俺だよ? あんなに先輩が――」
「ちょっと君、宰……美鳥に何か用? 悪いけど、こっちは急いでるんだよね」
自分でもよくわからない心に必死に蓋をして、せめて昔みたいにと笑って先輩の肩に触れようとしたら、寸前でその手が空を切った。
気が付くと、傍にいた長身の男が、先輩を後ろに庇うようにして俺の前に立っていた。
――なんなんだよ。
て言うか誰だよ、そいつ。
「――…」
俺は束の間閉口した。
周囲の喧騒――どこからか聞こえる酔っぱらいの笑い声や、学生が騒いでいるような声なども耳には入らない。
もしかしたら、あんなに先輩が好きだった俺、とでも言うと思ったんだろうか。だから先を言わせなかったとか?
……本当は、あんなに先輩が可愛がってくれてた俺、って言うつもりだったのに。
しかもこいつ、『宰』って言ったよな? 言い直したけど。つか言い直すなよわざわざ――。
……何だかイライラしてきた。
それを自覚した時、男の後ろで先輩が顔を上げた。
「……へぇ」
何だかそいつに守られてるみたいだね。
自然と漏れるため息を隠さず、俺は僅かに目を細めた。
「先輩、まだ男が好きなんだ」
わざと嫌な言い方を選ぶ。
嘲るような眼差しで、先輩に傷をつける。
目の前の男じゃなく、先輩だけをまっすぐに見据えて――これからもずっと忘れられないように、先輩の中に俺の存在を深く刻みつけたいと思った。
なのにそれをまた邪魔された。
「君に関係ないよね」
関係ないのはどっちだよ――。
思わず言いかけた言葉を咄嗟に飲み込む。そんな自分が自分で信じられなくて、逃げるように視線を落とした。
俺はいったい何をしているんだろう。何がしたいんだろう。この男と先輩について言い合う必要も理由もあるわけないのに。
いま、この瞬間――本当に関係ないのはどう見たって俺の方なのに。
思い至ると、もう吐き捨てるようにしか笑えなくなった。
「そうですね。今更もう関係ないですよね」
そして再度先輩を見て、申し訳程度ながらも頭を下げた。
「――突然声かけてすみませんでした」
あとは誰の返答も待たずに踵を返し、そのまま振り返ることもなく来た道へと歩き出す。
最後に先輩の声が聞きたかったと思ったが、そう思ったことにも気づかないふりをした。
だって結局先輩は一言も口を利いてくれなかった。そんな先輩にこれ以上しつこくもできない。
先輩と離れていく距離を思いながら、そこまで嫌われてしまったんだなと改めて実感する。
先輩、ごめんね。
今更言えたことじゃないけど、俺、先輩が嫌だったわけじゃないんだよ。
本当に嫌だったら、酔った勢いとは言え男なんて絶対抱けない。
だからってそう認める勇気も踏み出す覚悟も持てなかった俺は、全部先輩のせいにして逃げたんだよね。
そんな俺を先輩が許すわけない。いくら優しい先輩だって。いくら年下に甘い美鳥さんだってきっとずっと許さないよね。
――だから絶対気のせいなんだ。
先輩が俺に「ごめんな」と言ってくれたなんて。
俺は込み上げた涙を隠すようにそっと目を閉じて、 曲がり角を曲がった。
ただ、これだけは言わせてください。
俺、先輩の顔がまた見られて嬉しかったよ。本当だよ。
END(短編2に続きます)
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