8 / 38
初めてのお仕事 2
あの、と、紘弥は指でグラスを撫ぜながら言った。
「お礼が、遅くなっちゃったんですけど、おれのこと指名してくれてありがとうございます。その……すごく嬉しかったです」
「お礼なんていいのに。いい思いしてるのは俺なんだから。──指名がつくかどうか不安だったの?」
いえ、と紘弥は首を振った。
「初指名は縁みたいなものだから、時間がかかっても気にしないようにって言われてたので……それはあんまり心配してなかったんですけど、その、浩一さんが指名してくれたのが嬉しかったので」
「俺?」
「はい、素敵な人だったからびっくりしました」
花が開くような笑顔でそう言われて、浩一はさすがに照れを隠し切れなかった。営業トークだと思おうとしても、目の前の紘弥の笑顔も、声も、あまりに自然で暖かかった。
「さすがにそこまで持ち上げられると照れるよ……」
「そうですか? でも、笑うとずっと若く見えますし……あ、年齢の話はよくないですかね」
紘弥はぱっと口を押さえた。浩一は笑う。
「いいよいいよ、そんなの全然。でも、そうかな。あんまり言われたことないけど。笑ったらいくつぐらいに見える?」
「えっと……25とか26とか……」
口を押さえたまま遠慮がちに言うのが面白かった。浩一は今年で30だから、決して大げさな数字ではない。
「そっかー。紘弥くんは21だっけ? 君も若く見られるんじゃない?」
「見られます……すっごい年齢確認されます」
苦い思い出でもあるのか、しょっぱい顔をしてそう言うので、浩一は声を出して笑ってしまった。
あんまり笑うと気に障るだろうか、と思ったが、気付くと紘弥もつられたように笑っていて、ほっとする。
「浩一さん、たくさん笑ってくれるから、緊張がだいぶなくなりました。ありがとうございます」
朗らかにそう言われて、浩一は目を細める。明るく、真っ直ぐな物言いをするのがとても良い子だと思った。
「……そろそろお風呂、入りますか?」
訊かれて、浩一は何故か一瞬迷った。このままずっと他愛のない話をしていたいという気持ちがあった。
「そうだね……一緒に入ってくれる?」
それは下心ではなく離れ難かったせいなのだが、そうは思ってもらえないだろうな、と思った。けれど、紘弥は身構えるふうもなく、むしろ楽しい誘いを受けたような顔をして、はい、と笑って答えてくれた。
洗面も脱衣所も、もちろん浴室も浴槽も、男二人で入ってもゆったりできるほど広かった。そういう場所なのだから当たり前なのだが、湯船には花びらが浮いて良い香りが漂っていて、ちょっとしたリゾートに来たような気分だ。
心地よい湯に浸かる間、腕の中では紘弥がおとなしく抱かれてくれていた。
「あー……これは楽園だな……」
思わず呟くと、紘弥の笑い声がした。後ろから抱いているので顔が見えず、覗き込もうとすると、気付いた紘弥が振り返ってくれた。
「……紘弥くん、やっぱり目の色薄いよね。髪は染めてるの?」
「ちょっとだけ染めてるんですけど、ほとんど地毛なんです」
「へえ、どこか外国の血が入ってるとか?」
「よく言われるんですけど、純日本人なんですよ。おかげで昔、先生とかに染めてるだろって言われて面倒くさかったです」
「あー、それは大変だなぁ」
浩一が同情を示すと、ふふ、と紘弥は笑ってみせた。
「浩一さん、すごく綺麗な黒髪ですね。濡れてもぺたってならないし、うらやましいです」
「……君みたいな綺麗な子に言われると、反応に困るなぁ」
浩一が苦笑すると、紘弥は目を丸くして、いや、とか、そんな、とか謙遜の言葉を探しているようだった。
実際、紘弥の身体はしなやかで美しくて、正直目の毒だった。その気になったところで紘弥が驚くことも拒むこともないのだろうとはわかっていたが、あまり強引に迫るような真似はしたくなかった。
──ほんとにいい子なんだもんなぁ……。
素の紘弥のことなど何も知らないが、彼の笑顔や話し方で浩一は心が和んだし慰められた。仕事の疲れを忘れられて、優しく穏やかな気持ちになれている。
そういう安らぎをくれた相手を、それがどんな関係であろうが、ぞんざいに扱いたくはなかった。
「ね……さっき君は俺に指名してくれてありがとうって言ってくれたけどさ、俺は君を指名してよかったな〜ってすごく思ってるよ」
「え……えっ、あのでも、おれまだ何にも」
慌てたように言う紘弥を、浩一はぎゅうと抱き締める。
「してくれてる。すごく気を遣ってくれてるし、笑ってくれてるし、俺、もうめちゃくちゃ癒されてる」
紘弥は戸惑っているようだったが、ややあって、浩一の腕に手を添えて言った。
「おれ……癒せてます? 浩一さんのこと」
「うん。もう君を抱き締めて朝まで寝たいなって思うくらい」
ふふ、と紘弥の声が柔らかく浴室に響いた。
「……やっぱりおれ、浩一さんに指名してもらえて、ほんとによかったです」
ともだちにシェアしよう!