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2親愛と恋愛の境目は

「熱……はないね。血圧も問題ない。気分は? 悪くない?」  カルテにそうすらすらと書き込みながら、柔らかく問う先生。彼、瀬尾嵐(せおあらし)は、僕、深川凪斗(ふかがわなぎと)の担当医の先生だった。 「大丈夫です」と答えると、彼はすぐに安心したように笑みを零した。 「気分が悪くなったら、すぐにナースコールを押してね」  先生はいつもの決まり文句を言い、僕の頭を一度撫で、病室を後にした。  僕は先生が部屋を出てから、撫でられたところに触れ、ため息を吐いた。――先生が来る時間をずっと心待ちにしている、だなんて、言えるはずもなかった。  僕は、愛されたことのない人間だ。  父親は有能そして有名な代議士、母親は水商売の女だった。つまり僕は望まれて生まれてきた訳ではなく、父が誤って孕ませてしまった。  そうして生まれた僕は、商売の邪魔だからと母に捨てられ、水商売の女の子供など経歴が汚れるだけだと父にも捨てられ、ついには天にも捨てられ、喘息を患ってしまった。それも重症の。  父は金だけはきちんと保証してくれたため、特別病棟の個室に入院できているし、あれが欲しいと思えば即座に買えるし、いい学歴を築けているしで、不自由は病以外何もない。  だが『不自由はない』のと『幸せである』ことは必ずしもイコールではないと僕は思う。不自由は体で感じるもの、幸せは心で感じるものだからだ。  両親に捨てられた子が果たして人を信用できるのか――答えは言うまでもなく、否である。そんな人間が、愛されるはずがない。こちらからは信用すらできないのだから。  なのに――どうして彼は、信用できるのだろうか。  その壁にぶち当たる度、僕は言い訳のように自分にこう呟く。だって、幼い頃からの顔見知りじゃないか、と。  彼に出会ったのは十一年前。その時僕は六歳で、彼は十八歳だった。  その時たまたま彼が僕の家の近くに引っ越してきたのだ。彼は受かった医大が実家から遠く、やむなく近くのマンションを探してそこに住むことにしたそうだ。  彼と出会ったのは近くの公園だった。きっと、もうすぐ小学生という子供がブランコなどの遊具には目もくれず、一人ぼっちでベンチに座り、文豪の作品を読んでいる姿は、さぞ不気味だったろう。  それでも彼は、そんな僕に話しかけてくれた。それから彼は、近所の優しいお兄さんになった。  そのあと僕が入院する回数が増え始めた時、彼は立派な医者になっていて、ちょうど僕のかかっている呼吸器内科の先生になっていた。それから彼は、顔馴染みの先生になった。  仕事でもないのに優しくしてくれたのは、先生が初めてだった。本しか友達がいないような僕を否定せず、そっと寄り添ってくれたのも。  だからきっと信用できるのだろう。僕は先生にとって近所の子であり担当患者、ただそれだけなのに。僕が先生の特別でないことくらい、分かっているのに。  光を全て吸い込んでいるように艶やかな黒髪に同じ色の切れ長の目、理知的な黒縁眼鏡――それが世間一般の分類で『格好良い』となるのは知っていた。さらに高学歴の医者ともなれば、女性から高い人気を集めているだろうことも。  それがどこか引っかかるところもあり、先生と会えるだけで嬉しくもあり……そんな自分の気持ちがよく分からず、今日も僕は思い悩んでいた。

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