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1-王子様はピアニスト(3)
仕事が一段落ついた俺は、休憩スペースで一人ココアを飲んでいた。
温かいココアは心が落ち着く。
さあ、準備はあらかた済んで、休憩後に最後の確認をしたらおしまいだ。
せっかくの機会だ、できることなら小原悠の生演奏を聴きたいのだが、演奏中、俺はロビーにいなければならないのが残念でならない。音漏れで我慢しよう。
うん?
入り口側の廊下から人の話し声が近づいてくる。
「……なので、どなたか良い方ご存知ないですか?」
「うーん。なくもないですが、すぐにとなるとどうでしょう……一応問い合わせてみますね」
「ありがとうございます!」
支配人と小原悠だ。彼は座っている俺に気がつくとにこっと笑って片手を挙げた。
そのまま足早に支配人と廊下を歩いていく。
「なんせマネージャーがいないと困っちゃって……すぐにでも辞めるって息巻いてるんですよ。事務所にも今空いてる人いなくって……」
どうやら、小原悠が新しいマネージャーを探しているらしい。
これは、願ってもないチャンスじゃないのか。
俺は残っていたココアを一気に飲み干して空き缶をゴミ箱にシュートすると、事務室の方に駆け出した。
◇ ◇ ◇
「だから、困るんだって!今君に辞められたら、うちメチャクチャだよ!やってけないって!」
「すみません。でもやりたいんです。……それに、私いなくても他のスタッフでなんとかなりますよ」
「なるかなあ……」
俺と支配人が言い合いながら廊下を歩いていく。
支配人のポケットには俺の退職願いが入っている。嫌がるのを強引に押し付けた。
二人それぞれ手に持っているのは履歴書だ。
支配人が楽屋のドアをノックする。
「はーい」
「失礼します」
俺たちが入っていくと、小原悠はソファから立ち上がって向かい側に座るように手で示した。
「先程のマネージャーの件ですが、私からは二人ご紹介できます」
そう言って支配人はセンターテーブルに二枚の履歴書を並べた。
間髪入れず、俺もその隣に一枚置いた。
「私からも一人」
支配人の出した履歴書を手に取りかけていた悠は、反射的に俺の出した一枚に目を移した。
「え?これ、君じゃん。ここ辞めるの?」
「はい。退職願いは出しました」
俺がそう言うと支配人が苦い顔をした。
小原悠が笑う。
「え、さっき俺らが話してるの聞いてから、退職願い書いて履歴書作ったんだ?何分だよ。仕事早い。まじすげぇ」
「駅前のコンビニまで、写真撮りに走りましたから」
「あっははは。……では拝見します」
支配人が出した二枚に目を通してから、俺の履歴書に目を落とした。
長い沈黙。
「一応不公平がないように言っておくと」
小原悠が俺の方を向いて話しかけた。
ブラックオニキスのような深く昏い瞳は見ていると吸い込まれそうな魅力がある。
「俺、性格に問題があるらしくて、今までに五人マネージャー変えてるんだけど、大丈夫?」
「お客様のクレーム対応には慣れてますから。たいていのことは大丈夫です」
「ふふん」
小原悠は機嫌よく鼻で笑った。
「さて、支配人さん」
履歴書を置いた彼は支配人を見た。
俺は緊張しながら二人を見守る。
「ごめんなさい」
支配人の持ってきた二枚を返した。
「えーと、越野颯人さん、をいただいていきます」
取った!!俺は内心で渾身のガッツポーズをした。
溜め息をつく支配人。
「いつから来れます?颯人さん」
「来週から行けます」
「了解。よろしく」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
小原悠と握手を交わした俺は、喜びと期待で身が震えるのを抑えられなかった。
これが災難の始まりだとも知らずに……。
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