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1-王子様はピアニスト(4)
記念すべき運命の初日。
俺は池田音楽事務所の前に立っていた。
指定された午前九時に、事務所のドアを開ける。
中は混沌としていた。
向かって左側にデスクが並んでいて、どれもこれもごちゃごちゃしている。
正面にパーティションで区切られた応接スペースが二つあり、ソファの一つから寝転がった誰かの足がはみ出している。
雑然、そんな言葉が極太ゴシック体のフォントサイズ72ポイントで目の前に落ちてきた気がした。
ああ、片づけたい。駄目なんだ、こういうの。
なんだ、そのゴミ箱の上に積んだ書類は。要るのか要らないのかはっきりしろ。
要らないならちゃんと処分しろ。ゴミ箱が機能してないだろうが。
それと、デスク上に積んだ書類もなんとかしろ。どうせ下の方は要らない書類だろ?さっさと捨てろ。
要るならファイリングしろ。そこに空のバインダーが転がってるだろうが。
事務所に入る前からイライラしてきた。
だめだ、どいつがやったのか知らないが、根本的に教育し直す必要がある。
手前のデスクでPCに向かっていた男が、立ち上がってこちらに来た。
「おはようございます。ご用件をお伺いしてもよろしいですか?」
「おはようございます。小原悠さんとお約束をしているのですが。越野颯人と申します」
イライラを腹の中に押し込めて笑顔で挨拶をする。第一印象は大事だからな。
「あー。少々お待ちいただけますか」
男はそう言うと、応接スペースで寝転がっている男を揺さぶった。
「おい悠、起きろ。オキャクサマだ」
「ん、あー。……寝てねえっつの。止めろ、服が伸びる」
「悪いな、日頃の恨みが溜まってるもんでさ」
服の胸元を直しながら起き上がったのは、確かに小原悠だった。
ロングTシャツにカーキのシャツを重ねていて、ずいぶんラフな格好だがそれも様になっている。
「さすが颯人さん、時間通りですね」
「え、ええ。まあ」
当たり前だろと思いながら曖昧に俺が頷くと、彼は俺の腕を引いて事務所の奥へ向かった。
「とりあえず所長に会ってもらって、それからかな。色々と」
奥の部屋はガラス張りになっていて中が見える。
女性が一人、デスクに向かって書類を読んでいた。
小原悠がドアをノックすると彼女は顔をあげ、人差し指を優雅に曲げて入るように促した。
「さっき言ってた新しいマネージャーの件?」
低めのハスキーボイスには、人を惹き付ける力があった。
「そ。越野颯人さんです」
彼女は立ち上がって俺に握手の手を差し伸べた。
「初めまして。池田和歌子です。履歴書は読みました。なかなか行動力のある方みたいですね。悠はピアノの腕と顔だけで、性格含めて他は最低だから面倒かけると思うけど、よろしくね」
「こちらこそよろしくお願いします」
最低呼ばわりされた小原悠だったが、こたえた様子もなくあくびを噛み殺している。
契約関係をすべて済ませると、所長は先ほど応対してくれた男を呼び寄せた。
「彼が前任の山岡良太くん。しばらく一緒に行動して、仕事を教えてもらって」
「山岡です。よろしく」
「越野です。よろしくお願いします」
「いやー!思いの外早く後任が決まってくれてよかったよ!もう一刻も早くこのド腐れ大馬鹿野郎から離れたかったからね!」
清々しく言い放つ山岡さんを、小原悠が苦々しく睨み付ける。
「俺が馬鹿なんじゃねぇ。お前がヘタレなんだろ」
「おーおー、言ってくれるじゃねーか」
「貴方達、聞き苦しいから止めなさい」
所長の凛とした一喝で二人は黙り込んだ。
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