4 / 138

1-王子様はピアニスト(4)

記念すべき運命の初日。 俺は池田音楽事務所の前に立っていた。 指定された午前九時に、事務所のドアを開ける。 中は混沌としていた。 向かって左側にデスクが並んでいて、どれもこれもごちゃごちゃしている。 正面にパーティションで区切られた応接スペースが二つあり、ソファの一つから寝転がった誰かの足がはみ出している。 雑然、そんな言葉が極太ゴシック体のフォントサイズ72ポイントで目の前に落ちてきた気がした。 ああ、片づけたい。駄目なんだ、こういうの。 なんだ、そのゴミ箱の上に積んだ書類は。要るのか要らないのかはっきりしろ。 要らないならちゃんと処分しろ。ゴミ箱が機能してないだろうが。 それと、デスク上に積んだ書類もなんとかしろ。どうせ下の方は要らない書類だろ?さっさと捨てろ。 要るならファイリングしろ。そこに空のバインダーが転がってるだろうが。 事務所に入る前からイライラしてきた。 だめだ、どいつがやったのか知らないが、根本的に教育し直す必要がある。 手前のデスクでPCに向かっていた男が、立ち上がってこちらに来た。 「おはようございます。ご用件をお伺いしてもよろしいですか?」 「おはようございます。小原悠さんとお約束をしているのですが。越野颯人と申します」 イライラを腹の中に押し込めて笑顔で挨拶をする。第一印象は大事だからな。 「あー。少々お待ちいただけますか」 男はそう言うと、応接スペースで寝転がっている男を揺さぶった。 「おい悠、起きろ。オキャクサマだ」 「ん、あー。……寝てねえっつの。止めろ、服が伸びる」 「悪いな、日頃の恨みが溜まってるもんでさ」 服の胸元を直しながら起き上がったのは、確かに小原悠だった。 ロングTシャツにカーキのシャツを重ねていて、ずいぶんラフな格好だがそれも様になっている。 「さすが颯人さん、時間通りですね」 「え、ええ。まあ」 当たり前だろと思いながら曖昧に俺が頷くと、彼は俺の腕を引いて事務所の奥へ向かった。 「とりあえず所長に会ってもらって、それからかな。色々と」 奥の部屋はガラス張りになっていて中が見える。 女性が一人、デスクに向かって書類を読んでいた。 小原悠がドアをノックすると彼女は顔をあげ、人差し指を優雅に曲げて入るように促した。 「さっき言ってた新しいマネージャーの件?」 低めのハスキーボイスには、人を惹き付ける力があった。 「そ。越野颯人さんです」 彼女は立ち上がって俺に握手の手を差し伸べた。 「初めまして。池田和歌子です。履歴書は読みました。なかなか行動力のある方みたいですね。悠はピアノの腕と顔だけで、性格含めて他は最低だから面倒かけると思うけど、よろしくね」 「こちらこそよろしくお願いします」 最低呼ばわりされた小原悠だったが、こたえた様子もなくあくびを噛み殺している。 契約関係をすべて済ませると、所長は先ほど応対してくれた男を呼び寄せた。 「彼が前任の山岡良太くん。しばらく一緒に行動して、仕事を教えてもらって」 「山岡です。よろしく」 「越野です。よろしくお願いします」 「いやー!思いの外早く後任が決まってくれてよかったよ!もう一刻も早くこのド腐れ大馬鹿野郎から離れたかったからね!」 清々しく言い放つ山岡さんを、小原悠が苦々しく睨み付ける。 「俺が馬鹿なんじゃねぇ。お前がヘタレなんだろ」 「おーおー、言ってくれるじゃねーか」 「貴方達、聞き苦しいから止めなさい」 所長の凛とした一喝で二人は黙り込んだ。

ともだちにシェアしよう!