10 / 138
2-越野颯人の長い一日(3)
「おい颯人、起きろ」
急に悠さんの声がして、はっと意識を取り戻した。
目の前に悠さんの顔が二重に見える。瞬きしてようやく焦点が合った。
「颯人まで寝るなよ。俺もまた眠くなるだろ」
頭にぽんと手を置かれて、ソファで座ったまま眠ってしまっていたことに気が付いた。
「すみません」
風呂上がりらしい悠さんは、上半身裸で冷蔵庫から炭酸水のボトルを取り出し、グラスに注いで立ったまま飲んでいる。
「……っあー!目ぇ覚めたわ。支度するからもうちょっと起きて待ってろ」
気に入ったのか、もう一度俺の頭にぽんと手を置いてそう言い置くと、寝室に戻っていった。
これ以上座っているとまた眠ってしまいそうだったので、俺はソファから立ち上がった。
時計を見ると、一時二十分だった。
五分ほどで着替えた悠さんが戻ってきて、俺たちは出発した。
今日は現地集合だ。場所は隣県の海岸。
助手席のドアを開けた悠さんに、俺は少し目を見開いた。
「今日は助手席でいいんですか?」
「ああ。後部座席行ったら横になりたくなるだろ」
シートベルトをしながら悠さんは言う。
「遠いんで、道中寝てても大丈夫ですよ」
「ダメダメ、寝起きで弾けるほど始動の早い頭してねえんだよ。という訳で、俺を寝かすなよ。これ今日のミッションな」
はあ。余計な仕事を増やすんじゃねえこの野郎。
ただでさえテメエの優雅なバスタイムのせいで、時間が押してるんだろうが。
「じゃあ、喋りながら行きましょうか。俺も眠いですし」
灯りの乏しくなった街並みを抜け、高速道路に滑り込む。
「そうだ、マンションの合鍵、お返ししますね」
遅い車を追い越してから、ポケットに手を突っ込む。
「んー、できれば持っといてくれた方が今後何かと便利だろ。そのままでいいぜ。あ、後で家の鍵も渡すわ」
何かと便利ってのは、また悠さん起こしたり、忘れ物でもされた日にはパシらされるってことか。
また寝てる悠さんを起こしに行くのだけは勘弁してもらいたい。
「じゃあ、お預かりしておきますね」
「ん。頼む」
ポケットから出した手でそのままギアチェンジする。
「今日って何のCMだっけか」
「デルタ社の携帯の次期モデルですよ。実際に流れるのはまだ先ですけど、朝焼けを撮るには今が絶好のタイミングらしいです」
「携帯、携帯なぁ。それでなんで朝焼けの海岸?」
手をヘッドレストの後ろで組んで、納得いかないといった声を出した。
「さあ……防水と音質にこだわってるハイエンドモデルですって熱弁してましたから、その辺アピールしたいんじゃないですか?」
「じゃあ、俺でなくても良くね?掃いて捨てるほどいるだろ、朝の得意なピアニストくらい」
「そこはある程度知名度のある方でないと。少しは自覚してくださいよ、今売れてるピアニストって言ったら悠さんが一番に挙がるんですよ。しかもクラシックファン以外にも認知されてるって結構すごいですよ」
「自覚してるぜ?なんせ頼まなくても素行調査していただけるくらいだもんな」
「はは」
少し前まで、女性ファンが一人ストーカー紛いに悠さんにつきまとってなかなか大変だった。
警察に相談してようやく先日いなくなったところだ。
ともだちにシェアしよう!