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2-越野颯人の長い一日(6)
現地に着いてみると、砂浜に半ば埋もれるようにして、白い石材で円形のステージが作られており、グランドピアノが設置されていた。
まだ辺りは暗いので、投光器がいくつか設置されている。
広告代理店とデルタ社の担当にそれぞれ挨拶をして回る。
「今日はよろしくお願いします。小原さんは?」
「あ、先に準備に行かせました。さきほどスタッフの方が案内してくださったので」
「そうですか。実は小原さんの生演奏が聴けるのも楽しみにしてたんですよ」
デルタ社の担当がにこにこして言う。
「それはありがとうございます。御期待は裏切りませんのでご安心ください」
三人で談笑していると、支度の整った悠さんが砂地をさくさく歩いてきた。
「おはようございます!って言うにはまだちょっと早いですかね。お初にお目にかかります。小原悠です。よろしくお願いします」
衣装と一緒に猫もかぶってきたらしい。
車の中での態度と180度違う。爽やか好青年だ。
限りなく黒に近い赤のワイシャツにネクタイを締め、細身のスラックス姿。
……似合ってはいるんですけど、イケメン度がかなりホスト方向に振り切れているようなんですが、これでいいんですか衣装さん。
思わず心の中で衣装さんに問いかける。
ステージ上のピアノを見て、悠さんは微笑んだ。
「うわー、なんかロマンチックですね。いいなあ、ピアノ触ってもいいですか?」
「どうぞどうぞ。四時半から撮影始めますんで、ついでにカメラテストもさせてください」
近くにいた撮影スタッフがカメラを指す。
「あ、なんかおしぼりみたいなものありますか?手を拭きたいんですけど」
悠さんが衣装スタッフに声をかけている。
貰ったおしぼりで手指を拭いてから、ピアノの前に腰かけた。
浅く腰掛け、鍵盤に指を置いて、すうっと息を吸うと、一瞬で辺りの空気がはりつめ……次の瞬間、ピアノから溢れ出したアップテンポなメロディがまるで太陽のようにその場を明るくした。
しばらくぼうっと聴き惚れていた撮影スタッフが慌ててカメラに飛びつく。
悠さんはいかにも楽しそうに笑顔で弾いている。
一曲弾き終えると途端に思い出したように夜の闇が戻ってきて辺りを包んだ。
ぱちぱちと誰からともなく拍手が沸き起こる。
「いやぁ、素晴らしいですね!期待以上ですよ!」
「ありがとうございます」
悠さんが王子様スマイルで応える。
「でも、まだまだこれは指慣らしですから。本番にご期待ください」
「楽しみだなぁ」
クライアントは大満足の様子。さすが悠さんだ。
「すみません小原さん、もうちょっと弾いていていただいてもいいですか?つい聞き惚れててあまりカメラ回せなかったので」
撮影スタッフが申し訳なさそうに言って、笑いが巻き起こった。
「願ったり叶ったりですよ。じゃあ、もう二、三曲弾きますね」
悠さんが気前よく請け負って、練習が再開された。
今度はしっとりしたショパンのノクターンだ。
ピアノの音色の合間に波の音が入って、海辺ならではの風情がある。
じっと聴いていると、悠さんの揺れるミルクティー色の髪の先から、鍵盤の上を踊る手指、ペダルを踏む爪先まで、全てが音楽を奏でているような錯覚に陥る。
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