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2-越野颯人の長い一日(8)
高速にそろそろ乗るかという段になって、いきなり悠さんが目を覚ました。
「腹減った」
「もうすぐ高速乗るんで、またSAまで我慢してください」
運転席の後ろに移動した悠さんは身を乗り出して、俺の髪をぐしゃぐしゃにした。
「ちょっ、ちょっと何すんですか。危ないです」
「腹減った」
信号で車が止まったチャンスに、ぶるぶるっと頭をふって髪を直す。
「犬かよ。水で濡れた後に犬がやるやつじゃん。しかもそれで直るのかよ」
悠さんが笑う。
「手櫛で直すよりこっちの方が速いんです」
髪の長さだけで言ったら、悠さんよりも俺の方が長いんじゃないだろうか。
前髪重めのミディアムヘア。あまりきっちり整えず無造作なので、多少ぐしゃぐしゃにされても、頭を振った時の遠心力で十分直る。
「颯人お前、血液型B型だろ」
「血液型の性格診断は信じないタイプですが、B型です」
信号が変わって走り出す。
「おい颯人」
頭の上に手が乗る。
「運転中は止めてくださいよ」
「じゃあ、おにぎり買ってこい。シャチホコおにぎり」
ワガママ王子、見・参!
ちなみにシャチホコおにぎりとは、大手コンビニチェーンで売り出し中の商品で、中に海老の天ぷらが入ってたれの染みたおにぎりだ。要するにてんむす。
海老は極小だが、たれの染みたご飯と衣が美味しいと、ちょっとしたブームになっている。
「もう高速乗っちゃいますよ」
「だめだ。先にコンビニに行け」
一仕事終えたからか、ワガママ王子は今日も元気だ。
しかし、コンビニに寄るとなると、この辺りを走り回ることになる。
そろそろ通勤の車も増えてきた頃合いだ。
「事務所十時を諦めるんですね?」
「馬鹿言うな。十時は死守しろ。死守しつつ、シャチホコおにぎりを高速に乗る前に買ってこい」
「無理です」
「お?俺様に歯向かう気か?明日サボタージュするぞ」
「止めてください。明日は音楽雑誌のインタビューです。しかも先日リリースしたアルバムのインタビューですよ。売り上げにかかわります」
「じゃあ、十時までに帰る、今すぐシャチホコおにぎりを買ってくる、両方こなさなきゃならないのが敏腕マネージャーの辛いところだろ」
「残念ながら敏腕マネージャーじゃなかったみたいですね」
「ぅおい!」
ワガママ王子は諦めない。
どうしたものか……ナビを見ると、この先に一軒コンビニがある。そこに賭けるか。
「じゃあ、ここのコンビニ寄るんでちょっと待っててください」
「よしきた。さすが颯人」
駐車場に車を止めて、一人店内に駆け込む。
突き当りにおにぎりのコーナーが見えるが……ほぼ空っぽの状態。
もちろんシャチホコおにぎりはない。
さっさと撤退だ。
「ありませんでした。諦めてください」
後部座席の悠さんがまた俺の髪をぐしゃぐしゃにする。
「馬っ鹿野郎、こっちに行けば二軒あんじゃねえか」
悠さんが指したナビ画面は、これから乗ろうとしているICと方向が違う。
ああクソ。
言い合っている間が惜しい。
俺は無言で車の向きを変えて、悠さんが指したコンビニに向かった。
「よーしよし、いい子だ。初めからごちゃごちゃ言わねえで俺様の言う通りにしておけばいいんだよ」
「髪直してください。これじゃ車降りられません」
「ぶるぶるってしろよ」
「信号を避けてるんで止まれないんです」
今、俺は脳みそフル回転でナビ画面と実際の道路状況を見比べて、少しでも早くコンビニに、事務所にたどり着ける道を探している。
「しゃーねーなー。じゃあ直してやるよ。感謝しろ」
「ありがとうございます」
まったく誠意のこもらない感謝の言葉を吐いて、青信号を駆け抜ける。
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