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2-越野颯人の長い一日(11)

九時五十分。 事務所の駐車スペースに車を入れ、ようやっとホームに戻ってきた。 「よくやった颯人!後は頼む」 「え?は?」 エンジンを切るなり、ドアを開けて車から飛び出していった悠さんに、思わず俺は目を丸くして見送るしかできなかった。 その長身の後姿は、あっという間にビル内に消える。 いったい何があるというのか。 俺は忘れ物がないか車内を確認し、悠さんの後に続いてビルの入り口に向かった。 「ただいま戻りましたー」 二階の事務所のドアを開け、誰にともなく挨拶をする。 「よぅ、おかえりー」 事務作業中だった山岡さんが、キーボードを叩く手を止めて、返事をしてくれた。 荷物を席に置いて、ひとまず所長に簡単に報告する。 「お疲れさま。急ぎの仕事がないなら、もう帰っても構わないわよ。悠にも言っておいて」 「ありがとうございます」 所長の部屋のドアを閉めると、どこに行っていたのか、悠さんが事務室に飛び込んできた。 ビル前の道に面した窓を一つ開けると、そばにあった二宮さんの椅子を引っ張ってきて窓の前に陣取った。 頬杖をついて窓の外を眺めている。陽の光が入ってきているから、日向ぼっこでもしているのだろうか。 「あれは、何やってるんですか?」 山岡さんに聞くと、何とも言えない表情で、 「そば行きゃ分かるけど。たぶん、颯人は知らない方が幸せだと思うぜ」 と返してきた。 「なにがなんでも十時には事務所に帰るって、散々ごねてたんですよ。たぶんアレのためですよね……?」 「あいつまたごねたの?そりゃ災難だったな……」 何のためにここまで苦労して十時に事務所へ帰ってきたのか。 こんなに苦労したんだ、俺には知る権利があるだろ? 山岡さんには止められたけど、俺は窓辺の悠さんのそばへ行った。 悠さんは陽の光を浴びながら、にこにこしながら空を眺めている。 「……日光浴ですか?」 「そうだなー……」 ワガママ王子にしては穏やかな口調だ。 日光浴のために急いで帰ってきたのか?午前一時から働いた後にわざわざ? しばらく首を捻っていると、外が賑やかになってきた。 「りょうくん危ないから駄目よー。みんなと一緒に行こうねー」 「せんせーはやくー」 近所の保育園の子供たちと先生が散歩している。 まだまだみんなと同じペースでは歩けない小さな子は、大きな箱のようなカートに入って、最後尾の先生に押してもらっている。 比較的大きな子供たちはそれぞれ手をつないで先頭の先生について歩いていた。 一人の子が悠さんに気付いて声を上げた。 「あ!今日もおにーちゃんいた!」 「おにーちゃんだ!」 「今日は違うおにーちゃんもいる!」 え?違うおにーちゃんって、俺のことか? 悠さんは視線を下の通りに向けて、王子スマイルで手を振る。 いや、ファンに見せるスマイルよりもっと(きら)めいている気がする。 「ほら、ご挨拶は?」 「おにーちゃん、こんにちは!」 先生に促されて、素直な子供たちが悠さんに挨拶した。 若い女性の先生たちも軽く頬を染めて会釈している。 「はい、こんにちはー。車に気をつけてなー」 思わず悠さんにつられて俺も会釈してしまった。 朗らかに悠さんが返事をして……ぼそっと呟いた。 「あー……あのカートの中に入りてぇ……天国……」 俺は悠さんを見る目が冷たくなるのを抑えられなかった。 「悪い虫がいるんで、窓閉めますね」 引き違いになっている窓を閉めようと、サッシと窓枠の間に悠さんを挟む。 「いてっ、止めろよ颯人」 がすっ、がすっ、と窓で悠さんを潰す。 「まさかと思いますけど、このために十時に帰ってきたわけじゃないですよね?」 「何言ってんだ、このために決まってんだろ。だから痛いって、閉めるなよ」 「……変態ですね」 「いやいや待てよ、ほほえましい光景だろ?ぽかぽか陽気の中、無邪気な子供たちがお散歩してるわけだ。癒されるじゃねーか」 「それだけなら平和ですけど、さっきカートの中に入りたいって言いましたよね?」 「ん?あー……そう?俺そんなこと言った?」 「言いました。って言いました」 「そう?そうだったかな……」 悠さんが視線を泳がせる。 「通報しますね」 「待て待て待て待て、俺が何したって言うんだよ。ただ散歩中の子供たちに挨拶しただけだろ」 「犯罪の芽は未然に摘み取らないといけませんから」 「早まるな、落ち着いてくれ颯人、俺が捕まったら困るのは颯人だぞ」 「困ってから考えます」 俺は携帯を取り出したが、悠さんにひったくられてしまった。 「あっぶねーな颯人……、今日は朝から頑張ったんだから、ちょっとくらい見逃してくれよ」 「それとこれとは話が別です」

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