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2-越野颯人の長い一日(13)

「ぅあ、胃がもたれる……」 十二時十五分、俺は胃の辺りを押えながらビデオ通話の準備をしている。 余計な音が入ると困るので、場所は三階のスタジオだ。 「だから中華そばと餃子以外はやめとけって言ったろ?不味いから」 ぐったりしながら長机の上にノートPCを置いて通話の設定をする俺を、悠さんが憐れむように見てくる。 「飲食店で出してるからには、いくら不味いって言っても、せいぜい美味しくないレベルだと思うじゃないですか」 さっき昼食で入った近所の中華料理屋で俺がメニューを眺めていたら、悠さんが、 「中華そばにしとけ」 と囁いてきた。 理由を聞くと、他は不味いからだと言う。 そう言われると、ひねくれ気味の俺は他のメニューを頼んでみたくなってしまう訳だ。 炒飯をオーダーした。 炒飯が出てきた。 極めて、誠に、この上なく、類を見ない脂っこさだった。 ぱらっとした炒飯を作るコツは、米を油でコーティングすることだとどこかで聞いた。 あの店の炒飯は、コーティングどころか油に(ひた)っていた。 レンゲで炒飯を一すくいしたら、そのうち三割は油じゃないかと思うほど、ふんだんに油が使われていた。 「あれは炒飯じゃないです……。米のアヒージョです……」 「ああ、オリーブオイルの方がなんぼかマシになるかもな」 悠さんは中華そばと餃子を頼んでいて、一口食べさせてもらったら、美味しかった。 同じ店で出しているメニューだとは信じがたいほどの差があった。 「颯人、よく完食したな。すげーよ」 「出されたものは残すなと躾けられてきたので……」 「今回ばかりは例外で良かったんじゃねえの?」 「ここまで来たら意地でも食べてやるって思っちゃって……」 「意地っ張りも程々にしねえと命取りってことだな」 「ぅう」 そんな胃をかかえながらもなんとか設定が完了し、後は通話するのみとなった。 こちらがオンラインになったのを見たのか、向こうからかけてきた。 『どうもー、山根ですー』 「お世話様です、越野です」 『あれ、ディスプレイおかしいのかな。越野さんの顔青白く見えるんですけど』 途端に後ろで悠さんが爆笑した。 「あー、ディスプレイの故障じゃないです。実際に顔色が悪いだけです、すみません」 『え、大丈夫ですか?真っ青ですよ』 「ちょっと胃もたれがひどくて。……えーと、このまま繋ぎっぱなしでいいですか?」 『はい。番組冒頭で小原さんの紹介しますんで、そのタイミングで会話に入っていただければ、と』 「了解です」 悠さんがPCの前に座って応答した。笑いすぎて涙を拭っている。 あとは任せておいても大丈夫だろう。 ◇ ◇ ◇ 離れたところで自分のPCを開いてやりかけだった仕事に手をつけた。 ラジオ番組はもう始まっていて、リスナーからのメールに悠さんがコメントしている。 なんだか不思議なものだ。 半年前に衝動的に転職していなかったら、俺はこの番組を一人で聴いていただろう。 それが、ゲストである悠さん本人の隣で聴くことになるなんて。 笑い声をあげている悠さんの横顔をちらりと見る。 きちんと『小原悠』として朗らかな反応をしている。 毒舌ワガママ王子はどこへやら、だ。 悠さんが毒舌ワガママ王子なのは、俺を含む限られた人の前だけだ。 そう思うと、わずかに口許が綻んで、心の底が暖かくなった。 悠さんのワガママっぷりは困ったものだけれど、それを憎みきれない自分もいる。 独占欲……とは違う。この気持ちは何だろう。 悠さんを見ているだけで、声を聴いているだけで、傍に存在を感じるだけで、ぽっと心の中に灯がともる。 この気持ちを大事にしたい。心地好いから。

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