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4-ゆらぐな危険!(5)
二宮さんがよろよろと出て行って一時間も経っただろうか。
電話で話していた所長が通話を切って所長室から出てきた。
「近江さん、二宮くんダメだわ。インフルエンザですって」
「うっ」
近江さんが青ざめた。
所長はネイルアートを施した綺麗な指で顎をなぞる。考え事をしている時の癖だ。
「替わりに悠を出すしかないかしらね……。近江さん、トロイメライさん側の担当に二宮くんの替わりに悠を出すって連絡して。私も主宰と上の方に話を通しておくから。それからアーティスト変更の告知出して、チケット払い戻しの手配もしておいて」
「はい!」
「越野くん、今聞いた通りだから。悠に準備させて。イベントの細かいところは近江さんから引き継いでちょうだい」
「はい……あ」
明後日は光を預かる約束をしていたのを忘れるところだった。
「あの、実はその日甥を預かることになってまして。事務所に連れてきてもいいですか?」
「ええ、いいわよ。近江さん、面倒見られるでしょ?」
「は、はい」
お願いしますと俺は近江さんに頭を下げた。
「大人しい子なんで、そんなに手はかからないと思います」
「任せてください!子供は大好きです!」
胸を張った近江さんは、慌てて机の上の資料をかき集め始めた。
「引継ぎしなきゃですね。すぐ準備します!」
そう言った近江さんは、電話に手を伸ばした。
「あ、お世話になっておりますー、池田音楽事務所の近江と申します……」
俺は悠さんに知らせるべく、もう一度三階に向かった。
◇ ◇ ◇
イベントはランチタイムコンサートで、十二時十分開演、十三時終演予定。
トロイメライからは相模のどかというフルート奏者が参加することになっている。
「曲目はこれ、楽譜は一階にあるはずなので後で持ってきます」
悠さんは近江さんからリストを受け取り、見ながら唸っている。
「悠さん、どうかしました?」
なんとなく不穏な雰囲気だったので、悠さんに声をかけてみた。
「ん?いや、俺ランチタイムコンサートって初めてでさぁ。結構短いのな。物足りねぇ」
「そこは我慢していただいて……」
近江さんが宥める。
「明日トロイメライさんとリハーサルなので、よろしくお願いします……!」
「ああ。だいじょーぶ。今日あと残り半日練習できるんだろ?任せとけ」
悠さんは顔を上げると、にこっと笑って見せた。
近江さんはその笑顔を見て、安心したように息をついた。
こういう時の悠さんは頼もしい。
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