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4-ゆらぐな危険!(7)
その後も練習を続け、納得いくものになってきたのか、悠さんの表情がいくぶん柔らかくなってきたところで終了した。
「では明日、よろしくお願いしますね、相模さん」
「はい!よろしくお願いします、ゆ、小原さん」
おい、大丈夫なのか。今絶対、悠様って言いかけただろ。
和やかに別れた後、悠さんはさっさと車に乗り込んだ。
「腹減ったー。何か食いに行こうぜ」
「何がいいですか?」
携帯で検索しながら悠さんが言う。
「んー。こっから行くなら、つけ麺が近いかな」
液晶画面に表示させた地図を見せてもらい、車を出した。
そろそろ夕食時だ。混んでくる前にさっさと食べて店を後にする。
「事務所寄ってから悠さんのマンションでいいですか?」
「おーう。明日は何時くらいに来る?」
明日は光を預かってから悠さんのマンションに寄って、事務所で光を近江さんに預けてから、会場に向かうことになる。
地理的にはその順が最適なのだが、悠さんに光を会わせると面倒なことになる気がしてしょうがない。
しかしそれだけのためにルートを変更するには効率が悪すぎる。
時間ぎりぎりに行って、悠さんが光にかまう暇をなくす作戦にするか。
「九時でいいですか?」
「りょーかい。あ、明日のヘアメイクは?」
「ヘアメイクは三ツ橋さんだそうです。衣装は……ランチタイムですし、カジュアルめで何かあります?」
「んー、オフホワイトのコットンシャツにニットタイでどうだ?それとブルーのチェックのパンツで」
「いいですね。それで行きましょう。突然のイベントですからね……忘れ物がないように気をつけたいですね」
事務所に着いた。
「俺様が戻ったぞー」
悠さんが肩を回しながら事務室に入っていく。
さすがの悠さんも、あれだけ弾いていたら疲れるんだな。
いつものリハーサルより長かったからな。
「おかえりなさいー!相模さん、どうでした?」
「ん?なんかずいぶんやる気のある人だった。任せとけ、明日は余裕だぜ」
迎えに出た近江さんに、悠さんが応えている。
所長もそんな悠さんを見てほっとしたのか、少しまなじりを下げている。
「悠、急ですまないけど、頼んだわよ」
「だーいじょうぶですよー。聴き入っちゃってランチどころじゃなくしてやりますから」
「ふふ。心強いわね」
もはや定位置になっている応接スペースのソファに腰かけた悠さんは、両腕を上げて伸びをした。
俺はそんな悠さんの後ろに立つと顔を覗き込んで声をかけた。
「肩、揉みましょうか?」
「え、なんだよ。今日の颯人は優しいバージョンか?」
「いつも通りのつもりなんですけどね」
「どっちでもいいや、頼むわ。リハーサル力入れ過ぎて疲れちまった」
ぐったりと力を抜いた悠さんの肩に手のひらをのせると、少し固く凝っているのが分かった。
肩を中心にゆっくり揉み解していく。
次第に血流が良くなってきたのか、冷えていたのが温かくなってきた。
解しながらのんびり悠さんに話しかける。
「今日のリハーサルはずいぶん気合入ってましたね。どうしたんですか?」
「んー。なあ、手もやって」
悠さんは答えずに、両手を出した。
悠さんの隣に腰かけると、その大きい手を片方ずつマッサージする。
「……だってさぁ、その……昨日颯人に惚れさすって言ったばっかりで、下手こけないだろ?そりゃ一所懸命にもなるっつの」
俺はあえて悠さんの顔を見ずに、揉んでいる手だけを見つめた。
悠さんはまた赤い顔をしているんだろうか。
それともあの男くさい真剣な顔をしているんだろうか。
俺はまだ悠さんへの明確な応えを持っていないから、顔を見ることは出来なかった。
中途半端な、曖昧なものなど悠さんは求めていないだろうから。
応えるとしても、まだ少し時間が欲しい。
「ありがと颯人。かなり楽になったぜ」
悠さんは俺の顔を下から覗いて、にこっと笑ってみせ、俺の頭にぽんと手のひらをのせた。
「明日は、ちゃんと俺のこと見とけよ」
俺は精一杯微笑み返した。
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