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5-泣かないで愛しいひと(1)
三階、スタジオで。
「おい、颯人」
五線紙に書き込みを入れていた悠さんが、唐突に声を発した。
俺は来月の予定調整のためのメールを作成中で、突然の声に、ちょっとだけ飛び上がった。
「今日、夜、飯行くぞ」
なぜかちょっと片言で悠さんが告げた。
先日想いを告げてからこっち、恋人らしいことは何もしていない。
もちろん仕事があるので、毎日顔を合わせているし、送り迎えもしているのだが。
今まで通りの二人で過ごしていた。
そこへこの誘いだ。これは?
「デート、ですか?」
明日休みだし。
俺がそう聞くと、悠さんはちょっと固まった。
「も、兼ねてる」
素直でない言い回しに、俺は少し笑った。
「いいですよ。行きましょう」
そう答えると、悠さんはほっとしたように背筋から僅かに力を抜いた。
抜けて初めて、悠さんがらしくもなく緊張していたことに気がついて、嬉しくなった。
「何、食べますか?」
「今考え中」
「じゃ、楽しみにしておきますね」
「おう」
悠さんはそれだけ言って、またピアノと向き合った。
俺は事務仕事が一区切りついたので、ノートPCを抱えて立ち上がった。
「下に行ってます」
「ん」
今日は悠さんの口数が少ない。
なんだかそれに悪戯心がくすぐられて、部屋を去り際に悠さんの傍に立ち寄った。
「なんだよ」
悠さんが不審そうに俺を見上げる。
ひそめた眉が、昏い瞳が、くっきり通った鼻筋が、への字に曲げた唇がどうしようもなく愛しくてたまらない。
「いえ、何でもないです」
口許だけにっこり笑ってそう言うと、悠さんは「俺の邪魔すんな」と前に向き直った。
前を向いた瞬間、その頬にキスをした。
「んなっ、テメエ!」
さっと刷毛で刷いたように悠さんの頬に朱がのぼった。
俺の胸倉を掴もうと伸ばした手をかわした……つもりが捕まった。
ひどい。ネクタイは反則じゃないですか。ずるい。
「勝手なとこにしてんじゃねぇよ」
そういうと、悠さんは掴んだネクタイを引いて俺を抱き寄せ、ゆっくりと俺の唇を奪った。
するりと入り込んできた舌が熱く絡みつく。
俺は抱えていたPCをピアノの上に置くと、両手で悠さんの首にしがみついて、膝の上に横座りした。
悠さんは唇をわずかに離すと、「颯人、甘いな」と言った。
「お菓子食べてませんよ」
「じゃあ元から甘いんだ。おいし」
再び唇を重ねる。
キスが止まらない。止められない。
……それでも、いいか。
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