55 / 138
5-泣かないで愛しいひと(2)
二階に降りてきて、なんとか動悸を抑えると、事務室に入った。
今日は桧山さんに一日仕事が入っていて、山岡さんと外出している。
だから、今は所長と二宮さん、近江さんの三人しかいない。ああ、でもそろそろ帰ってくるのかな。
隣がいないからか、いつにもまして二宮さん、近江さんのデスクには書類だの資料だのが満載だ。
思わず機嫌が一転して、目尻がつり上がりそうになったが我慢する。
しかし、俺が奥の自席に行こうとした拍子に、近江さんのデスクに脚をぶつけてしまった。
「あ、すみません」
反射的に謝ったがもう遅い。
山と積まれた紙類がバランスを崩し、雪崩をうって山岡さんのデスクを襲う。
「ああっ」
近江さんはまだ無事だった山を押さえようとして腰を浮かせたが、伸ばした手が向かいの二宮さんの楽譜の山にぶつかり、崩す。
「あ、あ、あ、」
その山がドミノ式に別の山を崩し……桧山さんの席も雪崩に見舞われた。
阿鼻叫喚。
この光景を見て、ぷちんと俺の頭の中で何かが切れた。
「二宮、近江、立てっ!!」
「「はいっ!!」」
二人がその場でピンと直立不動になった。
近江さんが立った拍子に動いた椅子がごみ箱を直撃して倒した。
ごみ箱の上に積まれていた紙束がさあぁっと床に広がる。
もう言うことは一つだけだ。怒りを抑えた低い声で静かにゆっくりと言う。
「やれ」
「「はひぃっっ!!」」
半ば悲鳴を上げて二人が一斉に片付け始める。
「なんだよ?今めっちゃ怖い声が聞こえたけど。『殺れ』って」
ちょうど山岡さんと桧山さんが帰ってきた。
山岡さんが親指でビッと喉をかっ切る真似をする。
「すすすすいません、今すぐ片付けますからぁぁっっ!命だけはぁっ!!」
「おーい圭吾、俺の席、どこいった?見えないんだけど」
山岡さんも桧山さんもにやにやしながら、散らかし魔達の慌てぶりを眺めている。
「失礼しますね」
気がすんだ俺は近江さんの後ろを通って自席に着いた。
ふと視線を感じて所長を見たら、所長が笑いながら親指を立てて見せた。
お騒がせしましたの意味で笑い返して頭を下げ、ずっと抱えていたノートPCをデスクに置いた。
ともだちにシェアしよう!