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5-泣かないで愛しいひと(4)
駅は帰宅ラッシュで混み始めていた。
悠さんが、しまったなーと呟いている。
しかし混雑した構内でも、悠さんの背の高さのおかげで見失わずに済む。
俺は暗色の中に時折ちらつくミルクティー色を追いかけて、プラットホームへ向かった。
ホームに上がった先で悠さんが待ってくれていた。
「おせぇぞ颯人。俺から離れんな」
「頑張ります。久しぶりにこの時間帯の電車に乗るので。そういえば混むんでしたね」
「呑気なこと言ってんじゃ――おい、てめぇ触ってんじゃねぇよ」
悠さんが俺の背後に手をのばして何かを払い除けると同時に睨みつけた。
「あ、逃げやがった。クソ」
「?どうしたんですか?」
「はあ?何言ってんだ颯人、今テメーのケツ触られてただろうが!」
え、そうだったか。確かに誰かのバッグがしつこく尻に当たるなーとは思っていたけど。
混んでるから仕方ないなとしか思っていなかった。手だったのか。
「痴漢だったんですか」
「おいおいおい自覚なしかよ!颯人、意識してる以上に被害に遭ってんじゃねーか?」
「そうなんでしょうか」
「俺に聞くなよ。はぁ、普段は車通勤だもんな……。今後は電車はタブーだな。今日だけちっと気ぃつけろよ」
「はあ」
俺としては慣れてしまって、今更多少触られるくらいなら何も感じない。
気の抜けた返事をしたら、悠さんに睨まれた。
「あのなぁ、颯人が知らねぇ野郎の慰みものになるのは俺だってヤなんだからな?分かれよ。んでもって危機感を持て」
「はい」
返事をしながらも、悠さんのその言葉が嬉しくてつい笑んでしまった。
笑い事じゃねぇ、と悠さんに更に怒られた。
ホームに電車が滑り込んできた。
人混みに押されるようにして乗り込む。
俺は悠さんから離れないように必死だった。
悠さんが俺の手を掴んでぐいぐい引っ張っていく。
反対側のドアまで来て、ドアと悠さんに挟まれるように立つことになった。
悠さんが俺を潰さないようにドアに手を突いてこらえてくれている。
「大丈夫ですか?お気持ちは嬉しいですけど、私、多少潰れても平気ですよ」
「ん、じゃあ耐えきれなくなったらな」
そう話している間にも、どんどん乗客は増えていく。
さすがの悠さんもこらえきれなくなって、ドアに肘まで突いた。
抱きしめられるところまではいかないけれど、それくらいの距離感。
踏ん張ってくれている悠さんには悪いけれど、もう、いっそ抱きしめてほしい。
「今、やましいこと考えたろ」
他の乗客に聞こえないよう、俺の耳に唇を触れて悠さんが囁いた。
え、なんでバレた?
「何も考えてないですよ」
とりあえず平静を装おう。
「嘘こけ。急に心臓がバクバクいいだしたの分かってんだよ。この人混みん中何考えたんだ?変態が」
変態は悠さんの方でしょう、そう言い返したいけど、そう言うには俺からは悠さんの耳は遠い。
「っ、わり」
電車がカーブに差し掛かって悠さんの体が俺に押し付けられる。
あ、今なら言える。
「悠さんに、いっそ抱きしめて欲しいなって、思ったんです」
「~~っ!」
今度は悠さんの心臓が跳ね上がったのが分かった。
ふふ。たまにはこういうのも、楽しいですね。
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