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8-なつのおもいで(7)

なんとなく、仕組まれた気がする。 しかし、受け取ってしまったからには鍵を悠さんに渡さないわけにはいかない。 俺は一つ息を吐くと、山岡さんが示した方向へ歩き出した。 ビーチには帰り支度をする人たちがちらほらと見えている。 人を避けて、波打ち際を歩く。 しばらく行くと、桟橋のように突き出たコンクリートの建造物の上に、ミルクティー色の髪をした背の高い男が座っているのを見つけた。 近づいていくと、足音で気づいたのか悠さんがゆっくりと振り返った。 「おつかいです」 俺は預かっていた鍵を悠さんの手に落とすと、即座に帰ろうとした。 「颯人」 しかし、悠さんが俺の手首を軽く掴んで引き留めた。 振り返るとぺちぺちと自分の隣を掌で叩いて、座るように促している。 「ちょっと話していけよ」 思わずため息を一つつく。 「特に話すことないんですけど」 「俺はあるの。とりあえず座ってくれよ」 ちらっと悠さんの顔を見たら、何が何でも自分の言うことをきかせる時の顔をしていた。 しかたなく俺は悠さんの横に座った。 「手短にお願いしますね。夕飯も近いですし」 「なんだよ、素っ気ねぇな」 下唇を突き出して、拗ねたような顔を作ったが、すぐに気を取り直して口を開いた。 「雨宮孝之聴いたか?デスクの上に置いといたろ」 うっ。 俺が逃げられない話をふってきた。 雨宮孝之は俺が好きなピアニストの一人なのだけれど、もう高齢のため引退していて、音源はそうそう簡単に手に入らないのだ。 俺が好きだと話していたのを悠さんが覚えていてくれたらしく、先日出社したらデスクの上にCDが置いてあった。 「二枚、出したんですね」 「そ!面白いよな。三十歳の時と六十歳の時でまったく同じ曲弾いてんの。あんなに変われるもんなんだなって」 「若い頃はもちろん大胆で躍動感があって生き生きとしていいんですけど、歳を重ねてより深みが増したと言うか……いや違う、作って三日目のカレー……いや、何言ってんだろすみません。とにかく、どっちも好きです」 伝えたい気持ちは喉元まで出てきているんだけれど、俺の語彙には当てはまる物がなくて、言葉では表現できずもどかしい。 そのもどかしさだけは悠さんに伝わったらしく、悠さんは目を細めて笑った。 「はは。たぶん俺も同じこと思ってる。なんて言ったらいいか俺も分かんないけど」 悠さんの笑顔が胸を締めつける。 やっぱり悠さんが好きなんだ。でも、だからこそあの裏切りを赦したくない。 俺は笑顔から逃げて立ち上がった。 「行きますね」 「え、もう?」 寂しそうに悠さんが見上げてくる。 ふと、両手を拳に握って俺に見せた。 「右か左、どっちか選べ」 「何ですか?……右」 開いた手のひらには、薄桃色の丸く小さな貝殻が二枚あった。 さっきから悠さんの手元でかちゃかちゃいってたのはこれか。 悠さんは桜の花びらのようなそれを、むりやり俺の手に握らせた。 「さっき見つけた。綺麗だろ?お守り。気をつけて戻れよ」

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