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8-なつのおもいで(15)

「おい、どうしたんだよ悠。えらい勢いだな」 「颯人はっ?!帰ってきてるか?!」 外から山岡さんと悠さんの声がした。 「あ、ああ、颯人はさっき帰ってきたけど」 「邪魔すんぞ!!」 コテージの入り口が音を立てて勢いよく開かれた。 俺は思わずびくりと身を竦めた。 まただ。 また悠さんにみっともないところを見られる。 なんで悠さんにばっかり。 一番見られたくない人なのに。 できることなら、俺は今すぐに消えてなくなってしまいたい。 部屋の中を見回した悠さんはすぐに俺を見つけて駆け寄ってきた。 「颯人!いた……よかった……」 俺の目の前で立ち止まった悠さんは、いきなり深々と頭を下げた。 「すまない!!」 俺は俺なりに必死に平静を装った。 「ちょっと、止めてくださいよ。小原悠ともあろう人が何してるんですか」 「だって、俺のせいで……」 「何の話ですか?何のことか分からないんですけど」 俺はあくまで隠し通すことに決めた。しかし。 「じゃあ!腕見せてみろ」 詰めよってきた悠さんに腕をとられ、袖をまくられた。 当然、二の腕には掴まれていた指の跡が痣になってくっきり残っている。 「これは何だよ!それに脚だって!」 ジャージの裾を上げれば今さっき貼ったばかりの絆創膏に血がにじんでいた。 あちこちに痣も見える。 「外で転んだだけです」 「転んでこんな痣ができるか!!」 悠さんは震える息を吐いて、いきなり床に正座して頭を下げた。 「ちょっ」 「颯人、本当にすまない!俺が呼び出したりしたから……一人で帰らせたから……」 「えっ、おいちょっと何事?」 俺の前で額を床につける勢いで土下座している悠さんを見て、中に入って来た山岡さんは極限まで目を丸くしている。 「悪ぃ、良太。ちょっと颯人と二人きりにしてくれるか」 悠さんは頭を下げたまま絞り出すような声でそう言った。 「お、おう。じゃあ吹雪達のとこにいるから」 そう言い残して、山岡さんは戸外へ出ていった。 「止めてください。何があったっていうんですか?」 悠さんは頭を上げてくれない。 「颯人と話した後しばらくぼーっとして、帰りになんとなく颯人の足跡辿って歩いてたんだ。大きい岩があるとこ。そこまで続いてた」 「散歩してただけです」 「俺が渡した貝殻が割れて落ちてた。それにその辺り精液でぐちゃぐちゃで……」 下を向いていて顔は見えないけれど、苦しそうな声。 これは俺だけの問題で、悠さんには何の関係もないのに。 「……見ないでくださいよ。せっかく山岡さんには隠し通したのに」 本当に、本当に、余計なことをしてくれる。 「俺にまで隠さないでくれ。颯人にはこれ以上辛い思いをさせたくないんだ」 「もう別れたじゃないですか。私は独りで平気です」 「独りはやめてくれ……!頼む……!頼むから守らせて、いや、一緒にいさせてくれ……」 「結構です」 悠さんの背中がびくりと震えた。 「…………それなら……俺でなくてもいい……。誰か信頼できる奴と一緒になってくれないか……」 どんな想いでその言葉を口にしたのか。 血を吐くような声で悠さんは額付(ぬかづ)いたまま顔をあげない。 「とにかく!頭を下げるのをやめてください。そんな悠さんは見たくないです」 「!じゃあっ」 顔を上げた悠さんは期待するような表情で、俺の心を抉ってくる。 「私が消えます。私がいることで悠さんが苦しむなら、マネージャーを辞めて、ただの一ファンに戻ります」 俺が言い終わらないうちに、膝立ちになった悠さんが俺の手を力強くひっ掴んだ。 「駄目だ!辞めるな!!それだけは譲れねぇっ!!!!!颯人がマネージャーを辞めるなら、俺はもう二度とピアノを弾かねぇ!」 はぁ。滅茶苦茶。まるで駄々をこねる大きな子供だ。悠さんも……俺も。 話は平行線をたどったが、結局、俺はマネージャーを辞めないし、悠さんもピアニストのままでいることに落ち着いた。

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