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9-スキ、キライ、スキ(6)

もうそろそろ手紙も山積みになった。本人は現れない。 俺は来週に迫ったイベントについて、資料をまとめていた。 ふらふらっと事務室に降りてきた悠さんが俺の座っている椅子を揺する。 「おい颯人、アイス買い出しに行くぞ」 「お一人でどうぞ。今仕事中なので」 「一人じゃ持ちきれねぇんだよ。俺の手伝いするのも颯人の仕事だろ」 そろそろ秋も深まるってのに、どれだけ買い込むつもりか。 俺は深いため息を一つついて席を立った。 「正面のコンビニならいいだろ。近くて」 「……」 無言で悠さんの後を歩く。 池田音楽事務所の向かいには誂えたようにコンビニが建っている。 普段の昼食からおやつ、夜食、時には朝食にいたるまで、事務所のメンバー全員がお世話になっている、いわば池田音楽事務所の冷蔵庫だ。 店内に入ると、かごを取ってアイスコーナーへ直行した。 ラフマニノフのピアノ協奏曲を口ずさみながら、先を行く悠さん。 ラフマニノフは、先日コンサートで弾いた曲だ。 オーケストラをバックにした演奏は、悠さんらしく堂々としていて、お世辞抜きで素晴らしかった。 ぼんやりと俺がそんなことを考えている間にも、悠さんはアイスを次から次へとかごに放り込んでいく。 箱入りの棒アイス、パフェを模したチョコアイス、チョコレートに包まれた一口サイズのアイス、餅の入ったアイス、王道のバニラのカップアイス……。 あっという間にかごがいっぱいになった。 「こんなもんでいいか」 悠さんは一人ごちるとレジへ行く。 レジの店員も大わらわだ。 かごに山盛りのアイスを二人掛かりで処理していく。 結局ちょうど四袋分になった。 上機嫌の悠さんに半分持たされて、店の出口へ向かう。 悠さんが入り口に立つ半歩前に、外から女性が入ってきてなぜか足を止めた。 仕方なく悠さんも足を止め、俺は悠さんの背中に突っ込みそうになった。 「ユウサマ」 女性がそう言ったのが聞こえた。 握手を求めるように右手を差し出す仕草も。 「……くそったれ……!」 なぜか悪態をついて悠さんが後ろに下がり……崩れるように倒れ込んできた。 「は?悠さん?」 俺は状況が飲み込めないまま、崩れ落ちる悠さんを抱き止めた。 「!!」 赤い。 悠さんの脇腹があっという間に真っ赤に染まっていってその染みは白い床にも拡がっていく俺は悠さんの苦しそうな顔と腹に突き立った細身の棒状の何かを見比べて女性を見上げた女性は嬉しそうに悠さんを見つめていて口許には笑みが浮かんでいる床の染みはどんどん拡がっていって床に突いた俺の膝を温かく濡らす悠さんの口が動いた。 「指も腕も、無事、か……。腹な、ら、いい、や……くそ、痛てぇ……」 はやと、と呼ばれたような気がしたが、悠さんはそれきり目を閉じて俺にもたれた。 ずしりと重くて、意識がないことが伝わってくる。 「そこの店員さん!この女の人を捕まえといてください!!」 女の人の手を掴んでぐいと引っ張ると、ふらふらと雑誌コーナーの辺りまで店内に入ってきた。まだ悠さんを見つめて笑っている。 俺は振り返ってレジに向かって怒鳴っておいて、ポケットから携帯を取り出して救急車と、それから警察を呼んだ。 どんどん白くなっていく悠さんの顔色と、拡がり続ける床の血溜まりだけが気がかりで、救急車の到着が狂おしいほどに待ち遠しかった。

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