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第4話

――――  連れて来られた家で寝台に寝かされ、考賢はびっくりするほど美しい女性から薬を渡され それを飲んだ。  自分たちの母も美しかったが帝都にはもっと美しい女性が居るものだと感服する考賢に、女性は当座の薬だと小さな薬包を十ほど手渡した。  薬を飲んだらだいぶましになった考賢はやはり感冒であったかと一人結論付け、ただの感冒にこんなに薬は必要ないと主張する。驚いたあと困ったように首を振る女性にではせめてお金を受け取ってくれと頼んでも、やはり女性は受け入れようとはしなかった。 「落ち着いたか?」  女性と入れ替わるように髭面が部屋へと入ってきた。考賢は慌てて身を起こし布団の上で居住まいを正す。 「助けてくださり、ありがとうございました」  考賢がはっきりとした意識で向き合う男は只人ではない雰囲気を纏っている。連れてこられた部屋の大きさから、この家が一般的な庶民の家でないことも推測出来た。  もしかしたら自分はとんでもない迷惑を掛けたのではないかと縮こまる考賢に、男は寝台の横の椅子に腰掛け 眉根を寄せた変な顔で問い掛けた。 「謝 考賢と言ったな。お前、ネツキは何度目だ?」 「…ネツキ?……それはどういった病なのでしょうか?」  自分たちが育った村で"ネツキ"なる病は聞いた事が無かった。何度目と聞かれると言うことは、感冒のような一過性の病ではなく頻繁に繰り返し症状が出る病なのかも知れない。その予測は一瞬で考賢の心を暗く覆った。 「いやな……お前インセイだろ?」  とても言い難そうに首を捻りながら男は問う。だが、考賢には思い当たる節が無い。 「インセイとは何ですか?」  だから馬鹿正直にオウム返しした考賢は何一つ悪くは無い。悪くは無かった。 「お前、その歳で是・譲・隠を知らない訳が無えだろう。隠性は隠性だ!お前は隠性で、書庫の中で熱期を起こして倒れた。そうだろ?」  男の言葉にネツキとインセイの意味を瞬時に理解し、先程の予測とは全く別の意味で考賢の心は打ち砕かれ瓦解した。  男は名を蘇 見浄と名乗った。あまりの出来事に呆然としていた考賢はそれでも今度こそ寝台から降りて臣下の礼を取る。 「大変ご迷惑をお掛けいたしました」  蘇 見浄戸部尚書。国に六人しか存在しない尚書が自分を介抱したと知って、元より青い顔を更に青くさせ考賢は額づいた。 「あー、いいからいいから。そんな事するより布団に入って休め」  見浄が床を勧めても考賢は一向に額づいたまま姿勢を改めない。どうしたものかと眉を下げる見浄の元に先程の美しい女性が茶を持って戻ってきた。 「旦那様、熱期の者を床から離すなんて何事ですか!」  考賢に薬を与えた時のおっとりした風情は何処へやら、強い剣幕で女性は見浄を窘める。  見浄は更に眉を下げて、考賢の頭に手を掛けて諭した。 「ほれ、お前が床に戻らねえと俺が奥方に怒られるんだ。布団に入れ」  頭を上げた考賢の眼に憮然とした見浄の顔が映る。もう一度深く礼をして、言われるがまま考賢は寝台に入った。  奥方の説明によれば、飲まされた薬は「隠」の発作を和らげる薬で、熱期の体の熱を下げ"渇き"を癒す効果があると言う。  言われるほど喉は乾いてないが、先々発作が起こればそうも言ってられなくなるかも知れないと納得しつつ、その薬が効いたことが何より自分の「隠」性を認める事となり考賢は布団の中でうろたえる。  何より考賢には「隠」に関する知識が乏しかった。幼いころから「是」だと周囲も自分も疑っていなかった。だから書院で学ぶ知識の範囲でしか「隠」について知らなかったし、隠が薬を飲むことは母から聞いて知っていたがその薬に色々と種類があることすらしっかりとは把握出来ていなかった。 「お前、その官服だとまだ見習いだな?戸部(うち)で見た覚えもねーし、何年目だ?」 「二年を越えました……戸部は次の配置変えで、最後の配属先になる予定で…」  考賢は数字が数学が好きだった。だから出仕した当初から戸部への配属を目指していた。見習配属の予定が命ぜられた時、戸部が一番最後だったことに落胆し、それから戸部を目標に日々を頑張ってきた。今勤めている軍部だって、次の戸部を目標に慣れない毎日を過ごしていたのだ。それが…… 「……僕、もう辞めなきゃいけませんよね……」  三省六部は国を支え国の舵取りをする機関である。稀に「譲」でも入れる者も居るが八、九割は是の人間ばかりが集まる大きな組織、そんな中に「隠」が居た記録など聞いたことが無い。  見浄は困ったようなそぶりでカリカリと頭を掻く。 「…まあな…」  五十を過ぎ、その三十年以上を六部で過ごしてきた見浄もそんな話は聞いたことが無かった。  見浄の言葉を受けて、考賢はばさりと掛布団を跳ね上げ 寝台の上で再び居住まいを正す。 「お願いします!どうかこの事は内密に!!」  布団の上で額づく考賢に「だから寝ろ」と掛布団を引き上げ、見浄はどうしたことかと腕を組む。 「内密にしたところで、どうすんだ。いずれまた今日のような発作を起こすし、その時(ハン)を持たない是が近くに居たら、辛い思いをするのはお前だぞ…」  見浄が言うことは百理も千理もある。見浄のように潘を持った是は、潘以外の隠に惑わされることはない。隠も同じで、潘を持った隠の体香は惑わすほどの濃さが無くなり、隠と気づかれたとしてもその匂いの薄さから潘持ちだと解るのでまず手を出されない。潘持ちの隠に危害を加えたら、この国では重罪に問われた。  一方、隠の発作で出る体香に惑わされた是が引き起こす暴行事件。人の多い帝都では都度話題になるほど繰り返されている。しかもどんなに隠が訴えたとしても、潘持ちではない隠はその存在を軽んじられ事件は自己責任とされる。大半の事件は是が咎められることなく有耶無耶になることも知識として知っていた。 「じゃあ潘を持てば……」  考賢と一緒に出仕している同僚は皆 是性を既に顕現していた、仲の良い者も多い。事情を話せば潘となってくれる者も居るかも知れない。  悲痛な面持ちでとんでもないことを言い出した考賢に、見浄は頭を抱えた。 「お前、男の隠がどうやって潘を持つか知ら……ねーな、その顔は…」  元来 男の隠は極々希少である。万人に一人も顕現しない性だ。書院の授業ですらさっとしか触れられないため、考賢だけではなく世の全ての男が知識を持たないであろう。しかも考賢と同じ書院に嘉翔も通っていた、未だ嘉翔の是性が顕現する前 腫物に触るかのように学師は隠の授業をおざなりに流したのだった。  うんうんと悩みながら、それでも六部一の頭脳と評される見浄は何とか糸口を見つけようと頭を巡らす。どちらかと言うと考賢を諦めさせる方向へ。 「取り敢えず、軍部はもう駄目だろ。あそこのは下の兵こそ譲が多いが、国試以上は全員が是性だ」  考賢のような見習を除き、軍部の官士は血気盛んな者ばかりだ。血気盛んな是性の中に隠を入れることは、餓えた狼の集団に怪我した兎を放り込むようなものである。 「…僕は……戸部に入りたかったんです…次の配置換えで漸く戸部に行けるはずだったのに…」  少し噛み合わない会話でも、見浄は静かに聞いた。次の言葉を待っても出てこないようだから今度は自分の番だと口を開く。 「お前、国東の謝 考賢だったな…大人でも解けねーような帝都学師の手本を十ですらすら解いたとか、国試を十四で一発で入った秀才。軍部以外の五部が欲しがる頭脳…だったか?」  俺は欲しがった覚えはねーけどな。と独り言ちながら、それでも優しい眼で見浄は言葉を続ける。 「俺も当事者じゃないから詳しくはねーけど、隠の薬は高価だ。一介の官士に都度払えるかどうか…」  もちろん、見浄が奥方の為に買っている薬はこの帝都最高峰の薬屋が作った国一番の薬だ。庶民が買う物とは雲泥の差がある。そして庶民が買える薬は、稀に効果が不十分だったり偽薬だったりするので体香の事件は庶民の隠にこそ多かった。  その線で諦めさせようとした見浄に、考賢は少しだけ光を取り戻した眼で向き合う。 「村に薬師の弟がおります。弟の薬ならば少なくとも粗悪を掴ませられる可能性は減るかと…」  高価だと聞いた後で大変申し訳ないが、先程奥方から戴いた薬がある。知識として知る限りの熱期ならば、この薬で数日続く今の熱期は乗り切れるだろう。弟に今から手紙を出せば次の熱気までにはその薬が間に合う算段だ。自分が村を出た後も研鑽を積んだ弟は今や藩縣一番の薬屋務めだ。万が一材料不足などで間に合わなさそうであれば、見浄さまに頭を下げて同じ薬を都合付けて貰えばいい。  すらすらとそんな事を話しながら考賢の眼はどんどん輝きを取り戻す。その様に気圧されながらも見浄はではと問いを返した。 「俺がお前に薬を都合付けてやる道理はねえぞ。それとも、俺に何か益でも生み出せるのか?」  潘持ちでなかったら意味を取り違えられる可能性もある際どい発言に気付かず、考賢は爛爛とした眼で顔を上げる。 「では僕を試してください。まだ見習にも見せられるような過去の帳簿などで特に解析が難しかったものを貸してください。この熱期の間に解析して見せましょう」  考賢は自分の「頭」の価値を良く分かっていた。  翌日、望まれるままに見浄は考賢に課題の帳簿を与えた。そして考賢がその帳簿を解くまで一昼夜も掛からなかった。古い帳簿とは言え見浄を始め今は名だたる役職の者たちが当時三月は掛かって紐解いた帳簿だ、調査時の書き込みが多少残ろうが熱期の間に解くなど到底無理だと考えた超難問だった。  愕然とした見浄が読み解かれた帳簿を持ってその翌日戸部に出仕すると、様子のおかしい尚書を訝しんだ右侍郎が声を掛けた。隠の事を伏せた話を聞いた右侍郎は、その見習を絶対他の部に渡すなと見浄に嗾けた。  そして右侍郎の機転で誰も正解を知らない新しい帳簿を見浄は家へと持って帰った。通常なら戸部に勤めて三年くらいの官吏に任せるような物だ。  もしかしたら過去の帳簿は何処かから流れて正解を知っていた可能性もある、絶対誰もまだ正解を知らない帳簿を解かせることでその能力を見極める算段だった。  果たして、蘇 見浄尚書は皇帝陛下へ考賢の配属を直訴することになる。 <<続く>> ―――――――――― ※床=布団=寝台、どれも同じ意味ですが意図的に使い分けてるつもりです。誤字ではございません。 ※熱期=いわゆるオメガのヒートをこう表現してます。

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