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「発情期もまだのオメガにそんなことをさせるほど、俺は最低じゃない」
男はそう言うと、その手に握らせてから袖を通していなかった学ランを瑠輝の肩へふわりとかけた。
瑠輝は瞠目し、飴色の目でじっと男の顔を見上げる。
――どうして、僕の発情期がまだだって⋯⋯。
どうして、この男は分かったんだろう。
飴色の瞳を瞬かせ、瑠輝はその理由を探ろうとする。
すると、男は言葉よりも先に瑠輝の身体を優しくそっと抱き締めた。
「――上を脱いだだけで震えるようなヤツに、発情期が訪れているとは到底思えない」
鋭い男の言葉で、いつの間にか瑠輝は自身が酷く震えていたことを知る。
「あ⋯⋯」
続けて、瑠輝は小さく驚嘆の声を上げた。
確かに、手が震えている。
否、手だけじゃない。
全身が、恐怖で震えているのだ。
一体、いつからこんなにも自分は震えていたのだろうか。
莉宇の代わりに抱かれる覚悟、していたはずだというのに――。
自身の不甲斐なさから瑠輝は唇をきゅっと噛むと、今度は更に男の強い腕の力によってぎゅっと抱きすくめられてしまう。
「えっ⋯⋯?」
「少し黙ってろ。震えが止まるまで、こうして傍にいてやるから」
耳許で甘く男はそう囁く。
瑠輝の胸はドキリと高鳴り、自身のその反応に酷く困惑した。
元々は不法侵入をした瑠輝たちが悪いとはいえ、莉宇にも瑠輝にも、そもそもアルファへ身体を開かせようとしたのはこの男。
憎く、腹ただしいはずのアルファだというのに。
一体、この状況はどういうつもりなのだろうか。
自身の気持ちの変化も然り。
何もかもが目まぐるしくて、瑠輝の頭や感情、その全てが現実に追い付かないでいる。
逞しい男の身体からは、甘く華やかな、それでいて上品な薔薇の芳香がふわりと薫った。
ああ、また薔薇の香りだ。
頭の片隅で瑠輝はそう思ったが、いつになっても自身の胸にツンとした痛みを伴うことはなく。その代わり、別の意味できゅっと胸が僅かばかり締め付けられるのを感じていた。
この胸の締め付けが何から来るものなのか。
どうして、いつものツンとした胸の痛みとは違うのか。
酷く混乱したこの時の瑠輝には、残念ながらそれ以上のことを理解することは不可能であった。それどころか、また新たに厄介な胸の痛みが増えてしまったのだと嘆き悲しむ。
それでも密かに、この男の腕の温もりに酷く安堵したことは、間違いなく事実として瑠輝は感じ取っていたのである。
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