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ノズルの先から弧を描くように、白色の噴霧が飛び出し、あっという間にそれが水城の視界を遮る。
「ううっ⋯⋯」
大きく一言水城が唸り、その場へと崩れ落ちる。
効果があった。
そう思った瑠輝は、床へ座り込んだ水城に申し訳なさから軽く手を合わせると、急いで三軒先にある自室へと飛び込む。すぐさま、中からの鍵をかけることも忘れずに。
「助かった⋯⋯」
ほっと胸を撫で下ろすも、まだ心臓は激しく鼓動を刻んでいる。
「それにしても、怖、かっ⋯⋯たあ」
ドアに背をもたれながら、瑠輝はそのまま力なくずるずると床へ座り込んでいく。
そこで不意に、手の内へと握っていたスプレー缶の存在を思い出す。
「たったワンプッシュだけだったのに、水城先生には効果があった。これってもしかして、ベータにも有効なのか?」
そう言って、瑠輝が改めて注意書きを覗き込んだそのパッケージには“アルファ撃退催涙スプレー”と間違いなくゴシック体で大きく書いてあった。
元々このスプレーは、二度目の“秘密の薔薇園”でアルファたちから酷い目に遭わされかけた後、瑠輝がそういった防犯グッズを売っている店で購入したものだ。
――あの時の店員さんも、アルファにしか効かないとそう言ってたのにな。
これでは、ベータが近くにいる時には容易く噴射できやしないな。そう思った瑠輝は、立ち上がろうとして、自身の腰が抜けていたことに気がつく。
余程、先ほどの水城とのことが恐怖だったのだろう。
その場に座り込んだまま、瑠輝は大きく項垂れる。
「あーあ。ホント最近、ツいてないな」
そう言って、続けて瑠輝は頭を抱えた。
これは水城の言う、すぐそこまで迫り来ている初めての発情期のせいなのだろうか。
それとも、それとは違う別の大きな何かが瑠輝をそうさせているのだろうか。
確かな答えはどれも分からなかったが、自身の胸の痛みも煌輝とのことも、水城とのことも全ては、オメガの放つフェロモンが狂わせていたのだと知った。
「ホント、面倒くさい身体⋯⋯」
ポツリと瑠輝はそう独り言ちたが、その胸の中では、水城が言っていた同じ匂いを持つ者が“運命の番”だという言葉を、何度も何度も反芻していたのだった。
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