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「何だよ、ソレ。自分の心が乱されるのは嫌なクセに、人の心を乱すのはイイのかよ」 再びその胸に、薔薇の香りを嗅いだ時とはまた別の、チクリとした胸の痛みを瑠輝は覚える。 目の前の煌輝は、瑠輝のその言葉に一瞬、面食らったような顔をし、口を開こうとした。 だがそれ以上、瑠輝は男に何も言わせたくなくて「ばーか」と投げつけるように一言告げると、その場から脱兎の如く逃げ出し、校門の中へと駆け込んだのであった。 ――何なんだよ、煌輝のヤツ。 本当に、おめでたいアルファだな。 世の中の人間が、全て自分の思う通りに動くと思ったら大間違いなんだから。 瑠輝はすっかり紅くなってしまった自身の頬を鎮めるために、部活動の朝練が終わったばかりのグラウンドを早歩きで突っ切り、湿気った匂いのする昇降口へと進む。 すると運悪く、後から来た莉宇に面白がった口調で声をかけられてしまう。 「見ーたーぞ」 「り、莉宇っ?」 ドキッと心臓が高鳴り、瑠輝は慌てて振り返る。莉宇はニヤニヤしながら、その耳許でこう口にした。 「同伴登校してきたあの人って、“キングローズ”様だったよな?」 煌輝の立場上、第三者にはその存在を否定したいところだったが、そもそも莉宇がきっかけで出逢った相手だ。煌輝の顔もよく知っているため、誤魔化そうにも誤魔化しきれない。 「⋯⋯そう、だけど」 脱いだ外靴を下駄箱にしまいながら、渋々、瑠輝はそう言った。 「あれ、確か瑠輝クンはアルファと知り合いたくない、とか何だとか偉そうに言ってなかったっけ?」 莉宇を巻き込み、大事になってしまった経緯がある瑠輝は、ぐうの音も出ない。 しかも、莉宇の件で確かめたいことがあり、昨日も自ら煌輝の元へ出向いてしまった。そのせいで、今朝一緒に登校することになった、とはさすがに口が裂けても告げられない。 脚元に置いた上履きに、罰が悪そうにそっと視線を落とすと、莉宇の怪訝そうな視線を横から浴びた。 二人の間に、何があったんだと言わんばかりの探るような圧が漂う。 「⋯⋯えっと、その⋯⋯あれは、幻だ」 咄嗟に瑠輝は真面目な顔を作り、そう言った。 だが、莉宇はそんな瑠輝を「ふーん」とやはり怪訝そうに眺めている。 居心地の悪さを感じた瑠輝は、素早く上履きへ脚を入れると、莉宇から逃げるようにして三階の教室へ続く、目の前の階段を駆け上がろうとした。 「俺は良いと思うよ」 瑠輝の背に、莉宇がそう一言掛ける。 「――え?」 小さく驚嘆の声を瑠輝は上げると、追いついた莉宇がそっと自身の方へ肩を引き寄せながら、こう囁いた。 「シェルター暮らしのオメガだろうが、幸せになる権利はある。もう、瑠輝は幸せになっていいんだよ」 瞠目する瑠輝をよそに、今度は莉宇の方が先に階段を駆け上がっていった。

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