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遠く、潮の匂いがした。 海がこの先にあるのだろうか。 鮮やかな橙と朱の空が拡がる空には、逆光で陰影のついた雲が何処までも続く。 梅雨前の綺麗な夕暮れは、これが最後かもしれない。煌輝の逞しい背中へ頭を預けていた瑠輝は、翳りある美しい空をぼんやりと眺めながらそう考えていた。 高校を出発してから今まで、二人は何一つ言葉を交わすことなく、随分と長い道のりを来ていた。 相変わらず行き先は告げられないままであったが、瑠輝は二人で居られる時間が酷く嬉しくて、敢えて沈黙を護ったままでいる。 何か一言でも喋ってしまったら、それこそ夢から醒めてしまうのではないか、と危惧したからだ。 ギュッと瑠輝はその大きな背中へ頬を押し充てると、五感で煌輝を感じようとした。 良い香りがする。 甘く、高貴な薔薇の香りだ。 自分ではよく分からないが、瑠輝からも同じ薔薇の芳香がするらしい。 同じ香りを身に纏った者同士、運命の番になると幼き頃から薔薇の香りに反応した胸の痛みは消えるのだと。水城はそう言っていたが、現時点で煌輝と共に居るだけで瑠輝の胸の痛みは消失している。 番になどならなくとも、煌輝がずっと傍に居さえすれば、瑠輝は薔薇の香りに顔を顰める必要はないのだ。 ――あ、でもずっと煌輝の傍に居るということは⋯⋯必然的にいつか番になるということ、なのだろうか。 煌輝と番う。 同時にそれは、将来瑠輝が日本一極上の男である“星宮煌輝”の子を産む可能性がある、ということになる。 ――僕が、煌輝の子を? “キングローズ”の子を産むかもしれない、のか? 頭に、煌輝そっくりの整った顔した子どもの顔を勝手に想像し、瑠輝は独り激しく赤面する。 「ウソ、うそ、嘘っ」 思わず声に出し、瑠輝は大きく被りを振りながら頭に描いたものを全て否定した。 ――あれだけ、アルファと番になどなりたくないと思っていたのに。こんな妄想を無意識にしてしまうなんて、僕はどれだけ浅ましいオメガなんだろう⋯⋯。でも、と瑠輝は思った。 勘違いかもしれないが、いつも逢いたいと願うと、否、初めて出逢った時から願わなくともすぐに煌輝と逢えてしまった奇跡は、運命以外の何ものでもないのかもしれない。 無理矢理のこじつけかもしれないが、このご時世、携帯電話も持ち合わせていない瑠輝にとって、煌輝との遭遇はそう思わざるを得ない出来事ばかりなのだ。 多分、先ほど恥ずかしげもなく煌輝が告げたあのセリフのせいなのだ。 ――俺だけの瑠輝になって欲しい、と。 だから瑠輝は、煌輝との子を妄想してしまうほどに、誤解してしまったのだ。 「瑠輝、どうした?」 ちらりと背後を振り向いた煌輝から、ようやくそこで声がかかる。 「な、何でもない。ちょっと虫がいただけ」 煌輝の背で、独り百面相していた瑠輝は咄嗟にそう誤魔化す。

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