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「今日はそれもあり俺は私服で来たし、堂々瑠輝と密着したいから、荷台の付いた自転車をわざわざ選んできたのだが。⋯⋯今日は後ろに乗っても怖くなかったろ?」 当然の配慮だと言わんばかりに、煌輝は淡々とそう告げる。瑠輝は、その気遣いがとても嬉しくて、我ながら現金だなと自覚しながらも浮上していく。 「⋯⋯なんだ残念。今日もあの自転車だったら、今度こそ煌輝も後ろに乗ってあの恐怖を体験してもらおうと思ってたんだけど」 わざと口を尖らせながら、瑠輝は精一杯の強がりを言う。 実際には煌輝から甘やかされ、今すぐにでもその腕の中へ飛び込み、もっと甘やかし愛して欲しいと、そう思ってしまう。 「それでも良かったかもな。もちろん、瑠輝が主導権――握ってくれるんだろ?」 クスリと柔らかく笑って返す煌輝は、瑠輝と視線が合うと、ちらりと艶かしい流し目を寄越す。 瞬間、瑠輝の心臓はどくどくと激しく音を立て沸騰していく。 「さ、そこのスロープから海岸へ降りるとしよう」 海岸沿いの歩道が一瞬だけ途切れたそこを煌輝は指差すと、ゆっくりシティサイクルを押しながらその狭い下り坂を砂浜まで二人で降りる。 寄せては返す波の音、鼻腔の奥を揺らす潮の強い香りと特有の砂の香り。どれも非日常的な環境に、瑠輝の心は更に高揚感が増す。 六月直前、平日の夜の海ということもあり、周囲には誰もおらず二人きりであった。 海岸沿いを歩き始めてから橙色していた空は、あっという間に群青から藍の空へと移り変わり、今ではすっかり紺の空にダイヤのような星が無数散りばめられ、さんざめいている。 多少雲は見られるが、この調子だと明日もきっと晴れに違いないだろう。 「ね、僕さ。実は海に来るの、人生で二度目なんだ」 ハンドルを握ったままの煌輝をその場へ置いてけぼりにし、嬉々として瑠輝は波打ち際まで駆け出す。 「シェルターではずっと外に出してもらえなかったから、外の高校へ入学するまで海は、本と映像の中でしか知らなかったんだ」 大きな独り言のように呟いた瑠輝の脚元を、勢いよく返す波が容赦なく濡らしていく。 瑠輝は軽く舌打ちし、その靴と靴下を脱ぎ捨て裸足になる。 「――とは言っても、シェルターで暮らす前の人生では行ってたのかもしれないけど」 遠く海に反射する夜空の輝きを見つめながら瑠輝は言った。 煌輝は何もそれには応えず、ただ波と潮風の揺れる音だけが、瑠輝の耳へ届く。 「⋯⋯自分が本当は、どこの誰で何者だったのか。本当に誰からも必要とされず、この世へ生まれてきた人間だったのか。何一つ、思い出せないから⋯⋯本当に、怖いんだ」 どうして自分でもそんなことを口走ったのかは分からない。完全にこれは弱音だ。今までどんなに辛くとも、決してこんなことを口にすることはなかった。

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