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そもそもこうなった原因は、瑠輝が発情期を迎えたことから始まっている。 本来は煌輝の心配など、する資格さえもないのかもしれない。 用意された車椅子へ腰掛け、瑠輝は甚平のような薄水色したレンタルの入院着のまま、千織が押してくれるそれに身を委ねた。 病室のある六階から一階へと、病棟西側のエレベーターを使い降りると、目の前には通学路にもあるコンビニエンスストアが視界へ入る。その横にある狭い出入口を目指し、千織は進む。出入口を通過すると、スロープを使って瑠輝たち二人はそのままそれなりに面積の広い裏庭へと出た。 「今日は良い天気だね」 スロープを下り、石畳の道を避けバリアフリーの道を進みながら、千織はそう言った。 空を見上げた瑠輝は、どこまでも続くその青空に、小さく頷く。 続けて千織は、先日の走り梅雨が降ってから、未だ梅雨入り宣言はされていないのだと教えてくれた。 瑠輝はそれを聞き、自分はどこまでも呪われる運命なのだと悟り、それには反応せず遠くを見つめる。 千織はその機微へ気がついたのか、何もそれ以上話すことはなく、無言でゆっくり車椅子を押す。周囲には誰もおらず、裏庭は貸切状態であった。 裏庭の中央にある小さな噴水の傍へ来たところで、唐突に千織は車椅子の両脇にあるブレーキを掛ける。 しばらくここで噴水でも眺めるのだろうか。 瑠輝がそう思ったところで、噴水の四方を囲うように置かれていた木製ベンチの一つに、千織は二人が顔を合わせるように腰掛けた。 背の高い千織はそれでも瑠輝より目線が少し上で、脚もスラリと長く、スタイルが本当に良いのだと感心する。 しかし千織は、瑠輝とは打って変わっていつもより深刻そうな顔をしていた。 大概、瑠輝の前では笑顔であるため、この顔はめずらしい。何かあったのだろうか。 心配そうに、じっと千織を見つめる。 瑠輝は千織の目の前で手をヒラヒラさせると、車椅子の後ろに備えつけられたポケットに、筆談用に持ち歩いているノートとペンを取り出すようジェスチャーで伝えた。 慌てて千織はそれを後ろから取り出し、瑠輝へ手渡す。最新のページに一言文字を書くと、瑠輝はそれを千織の目の前へと差し出した。 『どうしたんですか?』 大き過ぎず、小さ過ぎもしない走り書きのようなその文字を、千織はゆっくり読み上げていく。 読み上げてから千織は黙り込み、何か独りで葛藤しているように見えた。 『僕のことで、何か悩んでいるのですか? 僕は大丈夫なので、その内容をお聞かせ頂けませんか?』 続けてその下へ、さらさらとペンを走らせる。 「⋯⋯」 それでも千織は沈黙を続ける。 『誰かに口止めされている内容なんですか?』 瑠輝のその問い掛けに、千織は「違う」と複雑な表情で呟く。 「違うんだ。だけど⋯⋯」 スクラブの前身頃、左右についているポケットの右側へ千織はそっと右手を忍ばせる。何かを掴んでいたその手を、躊躇いがちに外へ出す。 『それは?』 更に瑠輝がノートへそう走り書くと、観念したように千織が口を開いた。

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