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「⋯⋯」
話すか否か。
逡巡している内に、突如、あの夜の記憶が全てフラッシュバックする。
高熱に浮かされた煌輝の体温。不遜な態度の龍臣。鼻の奥の方へこびりつく雨に濡れた砂の土臭い匂い。五月の雨があんなにも冷たく、身も心も凍てつかせるものだと知ったあの晩のことを。
――煌輝の前へ姿を現すな。
口にこそしなかったが、龍臣の不遜な態度と蔑むようような瞳が、瑠輝の脳内へ残像としてよみがえる。
ハァハァと全身を大きく震わせ、瑠輝は過呼吸状態に陥る。
「瑠輝?」
「瑠輝くん!」
二人同時に、驚愕した声で瑠輝の名を呼ぶ。
震えは止まらず、瑠輝は浅く回数の多い呼吸状態で、声なき叫びを上げる。
「――あの、申し訳ないんですが今日のところは⋯⋯」
すぐには鎮まらないであろうこの状況を鑑み、心織はそれ以上の接触を断つように告げる。
納得のいかない顔した煌輝は、それでも尚、瑠輝に触れようとして手を伸ばす。
混乱し続けたまま、瑠輝はその手を条件反射で大きく振り払う。
「すみません。本当に今日のところは⋯⋯」
再び心織がそう切り出す。
「⋯⋯瑠輝」
酷く傷ついた顔をして見せた煌輝は、それ以上の言葉をぐっと呑み込み、目を伏せる。
「瑠輝くん、もう病室へ戻ろう」
パニックを起こし、呼吸が乱れたままの瑠輝にそう告げると、心織は小さく煌輝へ会釈し、そのまま車椅子ごと踵を返す。
「瑠輝! 明日も明後日も、その次の日もまた来る! 毎日逢いに来る!! 俺たちの誕生日も!」
森の中を戻る瑠輝の背後で、煌輝が全力で叫ぶ。
残念ながら今の瑠輝には、何一つその言葉は耳に届いていない。
事情をよく知らない心織ですらその感情は昂り、酷く泣きたい気分となっていた。
どう考えても、お互いがお互いを待ち侘び、好き合っているはずだというのに。
一体、何が二人を大きく邪魔しているのだろうか。
車椅子を押しながら森の中を行く心織は、瑠輝へは絶対に気がつかれないよう、そっと涙を流すのだった。
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