36 / 51
036.略奪愛に燃えた王太子は外堀から埋める
「殿下、王太子叙任式を無事終えられたとお聞きいたしました。この度は誠におめでとうございます。」
見たくもないつむじを見下ろしながら、私はみっともないほど顔を顰めていた。
子供の時分には探検家になりたいと駄々を捏ねていた私も、今や名実ともに次期国王。とはいえ、目の前の宮廷庭師は本来、こんなふうに殊勝な口の利き方をするタイプではないのだ。
「やめろやめろ。私はお前にそんな態度を取られても嬉しくない。」
「いえいえ。これを期に立場をわきまえる所存です。」
これはあれだ。本格的に私から逃げようという腹づもりだな。頭を抱えて溜息なんて吐いたものだから、中庭を挟んだ反対側の渡り廊下では通りすがりの文官たちがこちらの様子におろおろしている。まずい。
……こんな手は使いたくなかったけど、致し方ないか。
「いいことを聞かせてやる。」
私の想い人は相変わらず庭師らしく腰を低くしたまま黙っている。真摯に耳を傾けてはいるんだろう。
「立太子の期に合わせて、暗黒大陸の植民地化事業を父上から正式に引き継いだ。」
庭師の肩がぴくりと動く。ふむ、まだ顔を上げようとしないか。
「お前が懇意にしてるあの探検家、名前はなんと言ったか……、」
嘘だ。本当は名前どころか、一族の出自も後ろめたい過去もすべて知っている。ただ、取るに足らない相手であるふりをしたいだけだ。
わかっている。この片思いがただの横恋慕だということは。この庭師は幼馴染の探検家にべったりだ。
でも私は、今なおこの男が好きだった。
「彼等を先鋒役に任命して以降、国が支援金を出してるのは知っているな。」
今までは余所者の探検家たちに少なくない支援金を出してきたが、植民予定地の地形把握が済んで兵を送り込む段取りさえつけばそれも終わる。一大国家事業をいつまでも民間委託で舵取りするわけにはいかないからだ。
父上も祖父上も、そもそも何かあれば切り捨てる心算であの探検家一族を雇っていた。私がその意向に従うのは普通のことだが、逆に彼等を正式に召上げることもできる。
つまり、終わりが迫っているあの探検家の命運は、この私が握っているのだ。
「俺の言いたいことはわかるな。」
幼い頃から彼にのぼせ上がっていた私が、何度告白して、何度玉砕してきたことか。今更知らぬとしらを切ることは流石にこの男にもできないだろう。
「……国を滅ぼすおつもりで?」
「悪いが正妻は既に決まっている。父上が決めた。」
愛も恋もときめきも何一つない政略結婚。とはいえ世継ぎを作るのは私の義務だ。放棄するつもりはない。しかし。
「公妾は俺が決める。」
表沙汰にはならずとも、男の公妾を抱えた国王の前例ならいくらでもある。城にのさばる古狸たちも目を瞑るだろう。
「……憎らしい大人になってしまわれましたね。」
庭師は悲しげな声を震わせて楯突くが、怒りや軽蔑はそこになかった。言葉とは裏腹にまだ私を子供扱いしている。
「少し時間をやる。きちんと考えておけ。」
「お断りします。」
「駄目だ。」
「断ると言って、……っ!」
「――やっと面を上げたな。」
お前のそんな顔は、初めて見たな。硬直した戸惑いの表情。食われる前の獲物のものと相違ない。
私の燃える想いに、ようやく気付いたのか。土の香りのする汗ばんだ額に唇を寄せても抵抗はなかった。
「次に会う時は唇だ。」
明朗に告げれば、庭師はいじらしいほどゆっくりと顔を赤く染めていぬ。
粗野な男の情熱に焦がれ慣れているはずだろうに、存外初心なのだな。――私の恋心はなお燃える。
和花言葉BLSSSシリーズ(にちなんだ洋花版)
お題: ジャーマンアイリス/花言葉「燃える思い」「情熱」
前回の付随作になります。
ともだちにシェアしよう!