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046.君の報復
「触れないでくださいまし。」
きっぱりとそう言った君の厳格な口調は、こんな場所にあっても昔と変わらなかった。
「ただの茶の席で僕に触れようなどそんな……、貴方様はまだ遊び方をご存知ないようでございますね。」
かと思えば、かつての快活とした素ぶりはやけにしとりとした口調に隠されている。
高級男娼のなかでも極上と謳われ、誰より早く御職に着いただけはある。もう君は、昔の、私が知っている君ではない。
「……独立したと聞いていたのに。」
私がまだ全国の問屋を駆け回っていた若かりし頃、君は密かに姿を消した。きっと君の父君は、後添えの息子を後継に据えたかったのだろう。そこまでは当時に既に察していたが、厄介払いに追い出された君の行方は杳として知れぬまま。
だからといってまさか、身売りをさせられていたなどとは露ほどにも思っていなかった。
「私は今、自分で言うのもなんだがこの国で五本の指に入る資産家だ。今すぐ君を身請けしたい。」
これだけ高名になった君を手放すなど、見世の者は容易く許しはしないだろう。だがいくら積むことになろうとも構わない。私は未だに、初恋だった君に心を奪われ続けているのだから。
だが見世がそれを渋るより先に、君がこの提案を渋っているのには、私も少なくない衝撃を受けた。
「そんなことを急に申されましても、身請け話には事欠かないものでございまして。」
驚きもしなければ、さしたる感慨もない。決まり文句とわかる言葉で呆気なく袖にされて、私はどんな顔をすれば良いのか。
「君を諦めたくない。」
「ではここに通いなさればいい。」
かつてならば見ることのなかった艶めいた細目で見下されて、どうして衝撃を受けずにいられただろう。
「幾らも積み続ければ見世の者が勝手に考えましょう。」
「君は自分の人生の先行きを丸ごと見世の者に任せると言うのか?」
「売られるとは、そういうこと。」
目眩がしそうだ。昔の君はもっと、自分の生き方は自分で決めると息巻くような、そういう、命の力強さに満ちている人だった。だからこそ私は君に恋焦がれたというのに、長きに渡る勤めが、花街の甘い空気が、君を変えてしまったのだろうか。
開いた口が塞がらずにいるうちに、短い茶の時間が過ぎてしまった。
小姓に呼ばれて立ち上がる君は、着物の長い裾を引き私に背を向ける。
「ずっと、待ってたのに……」
丸まった小さな背でものを語ろうというのか。目を奪われたのは、震えた小声に化粧気を感じなかったせいだろうか。
「貴方様は、一向に助けに来てはくれませなんだ。」
――だからこそ、それが本音に聞こえてしまった。
「……しばらく通われればいい。これは、報復。昔の僕のように、貴方も叶わぬ夢を追って僕に会いに来ればいい。」
「……では、君は、」
ずっと私を、待っていたというのか――?
「申し訳ございません。お時間ですので。」
「あ、ああ……。」
もしかすると君は、私を程のいい旦那の一人としか勘定していないかもしれない。それでも。
「……また、来るよ。」
見送り役の小姓は、愛嬌のある顔でにこりと笑い「お待ち申し上げております。」とはきはき答えた。私と君の会話が、いつも通りの展開だとでもいうかのように。
次は金を山ほど持ってこよう。反物も運ぼう。褥の芸など望まない。茶の時間一刻に山一つ分の金を積んでもいい。たとえそれが、ただ君の思惑通りだったとしても。
私は今も、君が諦め切れないんだ。
和花言葉BLSSSシリーズ
お題: アザミ/花言葉「独立」「報復」「厳格」「触れないで」
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