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 会社の社長で、これだけの豪邸に住んでいるのだ。日頃からミシュランなどに載っているレストランや料亭、一流ホテルといったところで食事をする機会も多いだろう。自分が作った親子丼程度が、舌の肥えた上流階級の人の口に合うはずもない。 「冗談だと思われるかもしれませんが、本当なんですよ」  混乱する莉音の目の前で、いかにもやり手といった知的な印象の男性秘書は頷いた。 「で、でも、即席で作った親子丼とお吸い物ですよ? ただの」 「それが、とても好みに合ったようなんです」 「だ、だからって……」 「そんなに気に入ったのなら、いっそ我が社に入社させてはどうかと提案したんですけれどね」  早瀬は涼しい顔で、さらにとんでもない爆弾を落としてきた。 「ちょっ、待ってください! 親子丼とお吸い物で入社とか意味がわかりませんっ! ダメです、そんなの! 絶対いけません。無理ですっ」  もはや完全にわけがわからない。ムチャクチャすぎるにもほどがあるとしか思えなかった。 「あ~、やっぱりそうなっちゃいますよね。弊社の社長にもその場で却下されました」 「当然だと思います」  どんな会社でどういう職種なのかよくわからないけれど、そんなことがあっていいわけもない。 「そうしたいのはやまやまだけれど、あなたはそういうコネ入社みたいなことを甘んじて受け容れるタイプではないから、と」 「……え?」  莉音はその場で固まった。  それは、コネ入社を受け容れる人間であれば入社させたということなのだろうか。 「うちの会社、これでも結構大きくて待遇もそれなりにいいんですよ。従業員も日本支社だけでも相当数いますしね。ホテル運営なんかのいわゆるサービス業がメインなんですけど、ほかにもいろんな分野を手広く扱っているので、どこかしらの業種か部署で適正に合ったところが見つかるんじゃないかって思ったんですけどね」 「そっ、そういうのはよくないと思いますっ。僕が言うのもおかしいですけど」  社長秘書が率先して会社のトップに不正を提案するというのは如何なものなのだろうと、莉音のほうが心配になってきた。この人たちの会社、大丈夫なんだろうかと話を聞いているだけで変な汗が出てきた。その話の中心に据えられているのが、ほかでもない自分だから余計である。  反応に困っている莉音を見て、早瀬が楽しげに笑った。 「うちの社長が気に入ったのは、あなたのそういうところなんでしょうね」 「え? あの……?」 「打算がなくて、素直で誠実で。とても得がたい美徳だと思います」 「いえ、そんなことは……」  早瀬の態度は人当たりがよくて穏やかなのだが、どこか値踏みされているような居心地の悪さをおぼえた。 「大丈夫ですよ、そんな警戒しないでください」  そう言われても、やはりなにか裏があるのではないかと勘ぐってしまう。あまりにも話がうますぎる気がするのだ。 「だれにでもこういうことをしているわけではありませんから」  莉音の心中を推し量ったかのように早瀬は補足した。 「というか、こういう話を持ちかけたのはあなたがはじめてです」  社長の独断で気に入った人間を採用していたら会社が立ちゆきませんから、と苦笑した。 「そもそも、うちの社長は日頃は他人に対して関心が薄い人なんです。そんな人がいつになく強い関心を見せて、やたら気にかけている様子だったので、だったらいっそのこと我が社にスカウトしては如何ですかと提案したんです。こんなことははじめてのことでしたからね」 「でも、それってたぶん……」  莉音はおずおずと意見を口にした。 「僕に特別関心を持たれたというわけじゃなくて、僕が特殊な状況で関わった人間だからだと思うんです。そうじゃなかったら、きっとそこまで気にかけてくださることもなかったんじゃないかなって」 「そういうこともあるかもしれませんね」  早瀬はあっさりと認めた。 「ただ、佐倉さんのそういう謙虚で、なおかつ客観的な立場から冷静に物事を判断できる素養というのは、やはり非常に優れた資質であると私は思います。ヴィンセントの目に留まったのも、おそらくはそういう部分も含まれているのでしょう」 「はあ……」  そうなんだろうか、と莉音はいまいち納得しきれなかった。

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