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「ともあれ、まあ、そんなこんなであなたが弊社社長のお気に召したことは間違いありません。ですので、だったら会社のほうではなく、プライベートのほうでお願いしてみてはどうかという話になりまして、このような運びとなりました。まあ、佐倉さんにもいろいろご都合やご事情がおありかと思いますので、昨日も言ったとおり、無理なら無理でそのように言っていただいてかまいませんので」
「あ、いえ」
莉音はぷるぷると首を横に振った。
「お話自体はとてもありがたいです。ご存じのとおり、いまちょうど職探しの真っ最中だったので」
「そうですか、ならばよかったです。こちらにとっても好都合ということで。ひとまず日給一万でということでしたけれども、金額に問題があるようでしたら直接ヴィンセントに交渉してください。こちらからのお願いなので、ある程度融通は利かせられると思います」
「えっ!?」
思いもよらない金額を提示されて、ひっくり返った声が出てしまった。
「あ、少ないです? であれば、もうちょっと色をつけることも可能ですから、ご希望の額をヴィンセントに――」
「ちっ、違いますっ。違いますから! 逆です!」
莉音は顔のまえで忙しなく両手を振った。
「そ、そうじゃなくてっ、あの、早瀬さん、僕の仕事って掃除とか食事の支度とか、そういうことですよね? ほかになにか、特殊な内容とかも含まれてたりするんですか?」
「特殊な内容?」
「えっと、つまり、その……、一般的な家事代行の仕事のほかに、よ、夜のお相手?的なことまで含む、とか」
しばしきょとんとした顔で莉音を見つめていた早瀬は、直後にブフッと吹き出して口許を押さえた。笑わないようにと努力してくれているのはわかるが、深く俯いて表情が見えないようにしているものの、ずっと肩が小刻みに揺れつづけている。
「あの……」
「し、失礼。いや、あまりにも想定外のお尋ねだったので」
その反応から、完全に早とちりだったとわかってカッと頬が熱くなった。
「あっ、す、すみませんっ。いまのっ、聞かなかったことにしてください。っていうか、忘れてください!」
「いやいや、どうしてそんなふうに思われたのかわかりませんけれども、とりあえず誤解だけは解いておきましょうか。大丈夫ですよ、そういうことはいっさい含まれてませんから」
「す、すみませんでした、ほんとに。すごく失礼でしたよね。でも提示された金額が、仕事内容と噛み合ってなかったので」
「日給一万って、変でした?」
「家事代行で、普通そんなにはもらえないです。僕みたいな素人ならなおのこと。たぶん、その半分くらいでもいいくらいかと」
「あー、高すぎるって意味ですか!」
なにをいまさら、と思ったが、どうやらお金に対する価値観が違うようである。
「あの、伺ったかぎりだと九時五時みたいなフルタイムというわけでもなさそうですし、仮にそうだとしても、時給千円で換算したとして、一万円にはならないんじゃないかなと。それに、それだけもらうのって、肉体労働的な日雇いでもそんなにはない気がするんですけど」
「そういうものですかね?」
真面目に訊かれて、返答に詰まった。先程会社の待遇がいいと言っていたのは、言葉どおりであることが世事に疎い莉音でも、その反応からよくわかった。
「まあでも、くれるって言うものはもらっておけばいいんじゃないですか?」
「えっ、そんなわけにはっ」
「いえいえ、金額を提示したのは雇い主であるヴィンセント本人ですし、あなたにそれだけ出しても惜しくないという彼なりの評価のあらわれだと思いますよ?」
「いえ、ですけど、そんな……」
「大丈夫です。たしかに優雅な独り身でお金も有り余るほど持ってますけど、ボランティア精神で誰彼かまわず施しを与えるような人ではありませんから。そこは、彼なりの価値基準に合致した金額を提示したんだと思います」
はあ、と曖昧に応じつつ、そうか、独身なのか、と思った。
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