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    第3話(2)

「これ、母のレシピノートなんです。うちの母、いつか自分のお店を持つことが夢で、思いついたアイディアとか、テレビで見たり、実際自分で食べたものからヒントを得て思いついたものとかをいろいろメモしてたんです。それで、家で作ってみて試食して、僕にも細かく意見を聞いたりしながら改良点をさらにメモして、みたいな」 「それで君も、調理の専門学校に進んだわけか」 「母と一緒に、小さなカフェを開けたらなって。実際母も、ずっと飲食関係の仕事をしてましたし」  料理上手で、人が好きだった母が、ずっと思い描いてきた将来の夢。  こじんまりして童話の世界みたいに可愛くて、お客さんたちがみんな、友達の家に遊びに来たみたいにくつろげるお店を莉音とふたりで開けたら最高ね――それが母の口癖だった。 「このあいだはどこにあるのかわからない状態でしたし、とても持っていける状況じゃなかったんですけど、これだけはどうしても見つけて、手もとに置いておきたくて」  莉音がアパートに帰りたがったいちばんの理由は、このノートを探し出したかったからだった。 「そうか、お母さんと莉音の夢が詰まったノートなら、大切にしなくてはいけないな」  ヴィンセントの言葉に莉音は頷いた。  パラパラとページを捲ると、それらのレシピを書きこんだときの母の様子がはっきりと思い浮かぶ。莉音の目の前で書いていたものもあれば、知らないうちに追加されていたものもあった。母が亡くなって以降、このノートの存在がどれだけ救いになったかわからない。無事に見つけ出すことができてよかったと、あらためて深い安堵をおぼえた。  不意に、電話の着信音が室内に響いた。  鳴ったのはヴィンセントの携帯で、画面を確認したヴィンセントは、なぜか一瞬だけチラリと莉音を見やった。不審に思うまもなくすぐに応答し、その言葉が日本語ではなく、英語だったことに莉音はハッとする。そのまま英語で受け答えながら、ヴィンセントは莉音に目線だけで離席することを伝えると、なにごとかを話しながら部屋の外に出て行った。  普段、あまりにあたりまえのように日本語でやりとりしているのでうっかり忘れてしまいがちになるが、こうしてあらためて英語で話しているところを()の当たりにすると、日本人ではなかったのだなと妙に不思議な感じがしてしまう。もちろん名前も顔もスタイルも、日本人とはかけ離れているのだが、ハーフだった母が身近でごく普通に日本人として生活していたせいで、ヴィンセントのこともついおなじような感覚で見てしまう。あんなふうに英語でやりとりする姿を見てしまうと、一気に隔たりができたような感覚をおぼえて、なんとも言えない複雑な気分になった。 「僕、ひょっとしてすごい人に雑用とかさせちゃったのかな」  ふと、傍らで微笑む写真立ての中の母に話しかける。  手にしていたノートを閉じると、位牌と遺影がわりの写真を飾っているカラーボックスのまえに座りなおした。  一週間前、ヴィンセントの許へ移る際に、散乱した日用品の中から位牌と写真だけは見つけ出して鍵のかかる引き出しの中にしまっておいた。またおなじことが起こっても、傷つけられたり壊されたりすることがないよう、厳重に緩衝材やタオルでくるんでから。  片付いた部屋の中で引き出しからそれらを取り出し、もとの位置に戻すと、少しだけホッとすることができた。  荒れ放題の部屋に、ずっと独りにしちゃってごめんねと心の中で謝りながら手を合わせる。こちらを見て笑っている母が、あんたが無事なら、それだけで充分よ、と言っている気がした。  玄関が開く音がして、人が入ってくる気配がする。電話を終えたヴィンセントが戻ってきたのだろうと、とくに警戒することもなく、おかえりなさいと振り返ろうとして、突如手袋を嵌めた分厚い掌に口を塞がれ、背後から抱えこまれた。

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