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    第1話(4)

 組んでいた足を解いて、シャーロットが立ち上がる。 『さあ、いい子ね。ダイヤの在処(ありか)をわたしに教えなさい。大丈夫、悪いようにはしない。ダイヤのかわりに、一生だって遊んで暮らせるだけのお金を払ってあげるから。下賤のおまえには、この先どんなに頑張ったって、絶対手に入れられないような大金よ?』  目の前に立つ女を、莉音は見返した。  女王のように美しく傲慢で、だれよりヴィンセントの横に立つのに相応(ふさわ)しい存在。  だが、莉音は唇を噛みしめ、両手を強く握りしめた。 「嫌です。お断りします」  男の通訳を介して莉音の返答を聞いた碧玉の瞳が大きく見開かれた。 「何度も言っているように、僕はダイヤなんて知らないし、見たこともないです。でも、もしそのダイヤを僕が持っていたとしても、あなたには絶対渡さないっ」 『……なんですって?』 「もしそのダイヤを僕が持ってて、アルフさんが欲しいって僕に言ってくれてたらたぶん渡したと思います。僕が持っててもしかたのないものだから。だけどアルフさんは一度も僕にそんな話はしなかったし、なにかを探っている様子だってなかった。一緒にいるときはいつも僕を気にかけてくれて、つらいときも怖かったときもそばにいてくれた」  それが莉音を手懐けるためのヴィンセントの計算だったのだと言われても、莉音はその言葉を受け容れるつもりはなかった。 「僕はアルフさんがどんな人なのか知ってます。あなたの話すアルフさんは僕の知らない人で、彼がそんな人なのだとは僕には思えない。ずっとそばにいてくれたアルフさんより、突然目の前に現れて、僕の大切な人たちを悪しざまに言うようなあなたは信用できない。祖母のことも、アルフさんのことも。シャーロットさん、僕はあなたを信じません」  言いきった直後、飛んできた掌に莉音は頬を打たれた。  女性とは思えないような力で、突然のことに、莉音は大きくよろめいた。  耳鳴りがして、顔の左側全体がビリビリと痺れたような、火照ったような感覚に襲われた。  シャーロットがなにかを喚き散らしている。通訳の男は口を噤んだままだったが、なにを言っているのかは莉音にも大体想像することができた。  口の中に血の臭いと味がひろがって、どうやらいまので、頬の内側を切ってしまったらしいとさとる。だが、叩かれたことと、目の前にいる相手が頭に血を上らせていることとでかえって冷静になってしまい、すべてがどうでもよくなっていた。  自分はダイヤなんて知らない。あのPSグループの創業者一族の血が流れている可能性についても関心がない。シャーロット・スペンサーがたったいま自分に話して聞かせた内容についても、ヴィンセントの件については殊更、その言葉で傷つけられるものはなにもなかった。  そうだ。偶然というにはなにもかもができすぎていた。けれども、疑いだしたらキリがない。  短い期間ではあっても、出会って、ともに過ごして、その為人(ひととなり)に触れて、ヴィンセントがどんな人間であるのかを自分はこの目で間近に見てきた。それが自分にとっての真実で、疑いを挟む余地などどこにもなかった。  ヴィンセントが自分に近づいた目的が、シャーロットの言うダイヤにあったのだとしても、それならそれでかまわなかった。ヴィンセントが自分に向けてくれた思いやりや優しさに、裏はなかったのだと信じられるから。  不意に、電話の着信音が鳴った。  鳴ったのはローテーブルの上に置かれていたスマートフォンで、画面を見たシャーロットの顔色が、瞬時に変わった。  通訳の男が差し出したそれを、シャーロットはひったくるようにして受け取る。そのまま窓ぎわまで移動すると、背を向けて話し出した。  声をひそめて話しているが、あきらかに動揺しているのが背中越しに伝わってくる話し口調だった。先程まで喚き散らしていた様子とはまるで違っている。ひそめていたはずの声は、話していくうちに次第に興奮の度合いが強まっていったのだろう。徐々に甲高く早口になっていき、身振りを交えてなにごとかを訴えかけるものになっていった。途中で『アルフ』という単語が聞こえたように思ったのは、気のせいだろうか。  やがて通話を終えたシャーロットは、振り返るといまいましげに莉音を睨みつけた。そのまま足音も荒く近づいてきて、通訳の男に口早になにごとかを伝える。それを聞いた通訳の男は、莉音の腕を取ると強引に引いてどこかへ連れて行こうとした。 「え、あの……」  当惑する莉音を男は無言で部屋の隅まで引っ張っていく。そのまま、目の前のドアを開けると、いささか乱暴にその中へと押しこんだ。 「申し訳ありませんが、これから来客があります。あなたはこちらの部屋でじっとしていてください。大事なお客様ですから、決して出てこないように」  わずかによろめきながら振り返った莉音に、男は事務的な口調で告げてドアを閉めた。莉音は茫然とする。莉音が押しこまれたのは、ダブルの寝台がふたつ置かれたベッドルームだった。

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