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第9章 (1)

 ヴィンセントのマンションに到着すると、早瀬はトランクからスーツケースを下ろした。  空港からそのままホテルに直行してくれたのだと知って、莉音はヴィンセントの身体が心配になり、話はまた日をあらためたほうがいいのではと遠慮がちに提案してみた。しかし、ヴィンセントの答えは否だった。 「先延ばしにしてもいいことはなにもない。お互い、気になることが多すぎて落ち着かない時間が長くなるだけだろう。なにより、こんなことがあった以上、今夜は莉音を独りにしたくない」  きっぱりと告げられて、莉音は提案を引き下げた。いろいろくわしく知りたいのは、自分もおなじだったからだ。  早瀬からスーツケースを受け取ったヴィンセントは、ねぎらいの言葉をかけ、あとは自分で運ぶと手短に伝えた。早瀬もすべてを承知しているのだろう。その場でふたりに挨拶をすると、早々に引き上げていった。  ヴィンセントにうながされ、莉音は最上階の部屋へと向かう。昼間も一度訪ねているのに、ヴィンセントが一緒にいるというだけで妙にそわそわとして、落ち着かない気分になった。それでも、ふたりでひさしぶりにエレベーターに乗って部屋に戻ると、莉音は早速、日中作り置きしておいたグラタンとスープの温めに入った。  食事がまだなら一緒にと誘われ、断ることができずに自分のぶんも用意する。自室に戻って部屋着に着替えてきたヴィンセントと、一ヶ月ぶりに向かい合って食卓を囲んだ。  つねと変わらず、洗練された所作でスープを口に運んだヴィンセントは、ゆっくりと味わった後、感じ入ったように小さく息をついた。 「とても美味しい。こんなに美味しい食事はひさしぶりだ。ありがとう、莉音」  心のこもった感謝の言葉に返事をしようとして、喉の奥がぐっと詰まった。莉音はあわてて俯いて、首を横に振る。胸がいっぱいで、なにも言葉にすることができなかった。ヴィンセントは、そんな莉音の様子を見てもなにも言わず、ただ食事のあいだじゅう、美味しい美味しいと嬉しそうに食べてくれた。  今日一日なにも食べていなかった莉音も、食事を終えるころにはようやく人心地つけるようになっていた。空腹を感じていなくとも、身体は限界に近かったのだと、そこではじめて自分の状態を自覚した。  食後の片付けは後回しでいいと言うので、食器を流しに運んでリビングに移動し、L字型のソファーのコーナーを挟んで向かい合って座った。  食事のときには、いくぶんくつろいだ様子を見せていたヴィンセントの態度があらたまる。莉音の緊張も、自然、高まった。  最初にヴィンセントが話題にしたのは、莉音がシャーロットの滞在するホテルにいた件についてで、どういう経緯で連れて行かれ、自分が到着するまでのあいだに、シャーロットとのあいだでなにがあったのかについてくわしく訊かれた。  莉音は、自分に起こったことを包み隠さずヴィンセントに打ち明けた。  はじめてシャーロットが自分のまえに現れたのが高井戸署で面通しをした日のことで、そのときに彼女がヴィンセントの婚約者であることを知ったこと。会うのは今日が二度目で、自分の存在を知ってなお、莉音がいまだにヴィンセントのマンションに出入りしていることにシャーロットが腹を立てていたこと。母が先代PSグループ総裁の落とし胤で、その持ち株を譲渡されることが遺言書によってあきらかになったこと。該当する人物が見つからなかった場合、次に相続の権利を得られるのが、レナード・スペンサーがかつて子供の母親である多恵に贈ったダイヤモンドの指輪を所有する人間となること。その条件を満たして相続権を獲得するため、シャーロットに、その指輪を譲るよう迫られたこと。  話が進むにつれ、ヴィンセントの眉間の皺は次第に深くなっていく。最後には片手で目もとを覆って天を仰ぎ、深々と息をついた。 「バカなことを……」  苦々しげな口調で呻くように言う。 「あの、アルフさんのために必死だったんだと思います」  莉音の言葉に、ヴィンセントは不快さを滲ませて眉根を寄せた。 「莉音、彼女の軽はずみな行動については私からもお詫びしよう。本当に申し訳なかった。彼女にはあらためて私から――」 「アルフさん」  ヴィンセントの科白を莉音は遮った。 「レナードさんの持ち株をそっくり譲り受けると、PSグループの経営に口を出せるくらいの力を得られるって、そう聞きました」  そう切り出した莉音に、ヴィンセントは一瞬、胡乱(うろん)げな様子を見せた。

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