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「莉音」 「僕もアルフさんに、ずっと、会いたかったです……」  ポツリと本音を漏らしたら、想いが溢れて止まらなくなった。 「ずっと会いたくて、寂しくて、そばにいてほしかった。でも、アルフさんには婚約者がいて、あんなにお金持ちで綺麗な人で、僕は足手まといだから邪魔しちゃダメって。わかってるのに、何度も自分に言い聞かせてるのに、それなのにすごくつらくて、悲しくて。毎日、いつも会いたいって、大好きって……っ」  伸びてきた腕に絡めとられるように、莉音はヴィンセントの腕の中に抱き竦められた。 「すまない。つらい思いをさせて、本当に悪かった。莉音、おまえにもう二度と、こんな思いはさせない」 「ア、ルフさん……、……き……。大好きっ」  顎をとらえるヴィンセントの手に上向かされ、そのまま口づけられる。 「っん、……ふ……っ、ん、ん……っ」  口の中に侵入してきた舌に情熱的に貪られ、口腔内を犯されて、たちどころに理性を失っていく。だが次の瞬間。  莉音はビクッと身を竦めて小さく呻いた。眉間に深い皺が寄る。  ハッとしたヴィンセントは唇を離し、そっと莉音の左頬に手を触れた。 「ひょっとして、口の中も切れているのか?」  訊かれて、莉音は大丈夫と笑った。食事のときには意識して傷口にあまり触れないよう気をつけていたのだが、一度にいろいろなことがありすぎて、すっかり忘れていた。 「クソッ、私の莉音にひどいことをっ」  眉を顰めたヴィンセントは、普段の紳士的な彼に似つかわしくない、荒々しい口調で悪態をつく。その様子を見て、莉音は泣き腫らした顔でフフッと笑った。気づいたヴィンセントが、怪訝な顔をした。 「アルフさん、さっきも言ってくれたけど、『私の莉音』って」  嬉しそうに言う莉音に、ヴィンセントは途端に苦笑を閃かせた。そして、まだ熱を持って赤みの残る左頬を、そっと撫でた。 「あたりまえだ。私はもうずっと、そう思っている」  ヴィンセントの手に自分の手を重ね、莉音は目を閉じて頬を擦り寄せた。 「僕、アルフさんに『おまえ』って言われるの好きです。すごく距離が縮まって、アルフさんのものになれた気がして嬉しい。早瀬さんにはいつも気軽にそう呼びかけるのに、僕には、滅多にそう呼んでくれないから」 「あ~、いや。あいつはまたちょっと立場が……」  珍しく気まずそうにしたヴィンセントは、観念したように打ち明けた。 「早瀬は――宗一郎はその、じつは私の義理の弟にあたる」 「え?」 「妹の夫なんだ。だからまあ、身内という気安さもあって少し態度が崩れる。それ以前に、大事な友人でもあるし」  はじめて聞かされた事実に、莉音は驚きのあまり一瞬言葉を失った。 「えええっ!? 友人はともかく、そうだったんですかっ? おふたりともずっと、そんなそぶりは一度も……」 「いや、まあ。仕事とプライベートは分ける方針というか、宗一郎はその辺、線引きがとりわけきっちりしていて、私も従わざるを得ないというか」  決まり悪そうにヴィンセントは言い訳した。  どおりで、ただの秘書というには、時折見受けられる物言いや振る舞いに遠慮がなかったはずである。そういう間柄だったのかと、ようやく得心がいった。 「アルフさん、妹さんがいらっしゃったんですね」 「そうだな。私より五つ下になる」  その点でも莉音は二重に驚いた。これまでヴィンセントの口から身内に関する話が出てこなかったというのもあるが、自分は本当になにも、彼のことを知らなかったのだなとあらためて思い知った。 「いずれきちんと話そうと思っていた。妹の名前も、偶然にも君のお母さんとおなじで、リサという」  言ったあとで、この話が出たついでだからとヴィンセントは切り出した。 「君は――おまえはおそらく気にしているだろうが、私は別段、自分の後継者に血統を求めてはいない。妹夫婦には息子がいるから、いずれ本人にその気があれば甥である彼に譲ってもかまわないし、ほかに有能な人材があれば、部下や社員の中から選んでもかまわないと思っている。もちろん、ヴィンセント・インターナショナルは私が一から築き上げた会社で、それなりに愛着も誇りもある。だが、私がリタイヤしたあとや死んだあとに、だれがその後を引き継ごうが興味も関心もない。私は、私が現役であるうちに自分の責任を果たし、自分にできることを精一杯やる。それだけだ」  だから子供の存在は重要ではないと莉音の手を取った。 「私は、これからの自分の人生におまえがいてくれたら、それだけでいい」 「アルフさん……」 「莉音、あらためてお願いする。私のパートナーとして、生涯をともにしてほしい」  恭しく引き寄せた莉音の指先に、ヴィンセントの唇がそっと触れる。誓いを立てるような、厳かな口づけだった。  莉音の口許に、笑みがひろがる。 「はい、よろこんで」  応えたその瞳から、あらたな涙が溢れ落ちた。

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