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第1話(3)
興味を引かれた莉音が、そばに行ってオムツ替えの様子を見守る。リサは手早く服を脱がせて汚れたオムツをはずすと、お尻をきれいにしてあっという間に新しいものに替えてしまった。その作業を間近で見学していた莉音は、さっぱりした顔で泣き止んだ息子を抱き上げたリサに感心して、「すごい、魔法みたい……」と呟いた。
「リオン、ソータ抱きますか?」
不意に訊かれて、莉音はあわてる。
「えっ? い、いいですいいですっ。無理っ。落としちゃったら大変」
「ダイジョーブ、ダイジョーブ。はい、だっこ」
はい、と差し出されて、おっかなびっくり手を出した。
「首がまだ完全に据わってないから、支えるように手を添えてね」
様子を見にやってきた早瀬にアドバイスされて、先程のリサと早瀬の抱く姿を思い出しながら見よう見まねで抱いてみる。
「そうそう、すごく上手です」
「リオン、とってもジョーズ!」
赤ん坊の両親にそろって褒められて、リオンは嬉しくなった。
「すごい、やわらかい。あったかくてミルクのいい匂いがする」
ぎこちないはずの莉音に抱かれても、泣き出すこともなくご機嫌な赤ん坊に莉音はたちまち心を奪われ、満面の笑みを浮かべた。
「アルフさん、見て見て。すごく可愛い」
ヴィンセントに自分が抱いている甥っ子の姿を見せると、彼はなぜか、ひどく真剣な顔で早瀬を顧みた。
「宗一郎、早く二人目を作れ」
「え? なんです、急に」
「生まれたらうちの養子にする」
唐突な発言に、莉音はびっくりしてヴィンセントを見上げた。
「えっ、ちょっ!? アルフさんっ!? ダメですよ、そんな! 急になに言い出すんですか!」
リサも、兄の突飛な発言にグレイがかった碧眼をきょとんと見開いている。だが早瀬は、落ち着き払った態度で口許に薄い笑みを刷いた。
「いいですよ、お望みなら。二人目でも三人目でも、ご要望どおりに作りましょう。莉音くんが宗太を抱いてる姿見て、ますます惚れなおしちゃったんでしょう」
「ちょ、早瀬さっ――」
「けど、いいんですか?」
あわてふためく莉音を後目 に、早瀬は余裕たっぷりに言った。
「莉音くんは人一倍愛情深い子ですから、赤ん坊を養子としてこの家に迎えたら、子育てに夢中になって、あなたのことは顧みられなくなりますよ?」
言われた途端、ヴィンセントはぐっと詰まった。
「……それは困る」
なにやら本気で悩んでいるらしいヴィンセントに、莉音はもう、と苦笑いをした。
「僕、無理です。来年からまた学生に戻るのに」
ですよね、と早瀬は笑った。
「こと、莉音くんのことになると、普段の沈着冷静で知性の塊のような人が、瞬時にお猿さん並みのレベルになっちゃうんだから困ったものです」
「うるさい、宗一郎」
不機嫌な顔で睨まれても、日頃からヴィンセントをあしらい慣れている敏腕秘書は、どこ吹く風と涼しい顔で受け流している。平然とした様子でさらりと躱して莉音に向きなおった。
「でも偉いですね。これだけ料理上手なのに、また一から勉強しなおすなんて」
感心しきりと言わんばかりに褒められて、莉音はとんでもないとかぶりを振った。
「僕のはまだ全然、素人の趣味の領域を出ていないので。就職して実地で、とも思ったんですけど、それよりもまず、基礎からきちんと学びたいなと思って。前回は一年で中退しちゃったし、中途半端なままだったので」
「学費も自分で出すんでしょう?」
「自分でって言っても、もともと母さんが僕のために用意してくれていた蓄えでしたから」
莉音ははにかんだように笑った。
「母が亡くなって、生活費とか家賃とか、いろいろ考えたら学生はつづけられなくて中退したんですけど、アルフさんが、そっちの心配はしなくていいって言ってくれて」
「家のことを任せるなら、充分、そのくらいの対価にはなる。ついでに学費も出してやると言っているのに」
「それはダメですよ。僕、ちゃんとバイトして、光熱費とか食費のぶんは払いますって言ってるのに」
「それはしなくていい。莉音がアルバイトに出たら、ふたりの時間が減る」
断固とした口調に莉音は困ったような笑みを浮かべ、早瀬は声を殺してクックと笑った。
「アルフ、ダメね。超カホゴ! 子バナレできないダメパパみたい。シツコイ男、嫌われる」
「まあまあ、リサ。やっと念願叶って莉音くんを手もとに置けるようになったんだから」
憮然とするヴィンセントをまえに、早瀬は笑いながらフォローを入れた。
話題のきっかけとなった小さな赤ん坊は、大人たちのやりとりなど知らぬげに、いつしか莉音の腕の中でふたたびすやすやと眠っていた。愛しげにその姿をもう一度眺めた莉音は、母親の腕の中にあたたかなぬくもりを返す。そして、ヴィンセントの傍らに寄り添うように戻った。
「あの、じつはフォンダンショコラも作ったんです。食後のデザートに如何ですか?」
途端にリサは、目を輝かせた。
「オウ、リオン! ワタシ、甘いモノ大好きデス! スバラシイッ! 超たのしみっ!」
嬉しそうに言って、息子を抱いたまま夫を顧みた。
「ソイチロー、ワタシ、リオン欲しデス! リオン、養子にシマショー」
すかさず提案して、先程の兄の横暴な発言に仕返しをした。ヴィンセントは、自分の躰で莉音を庇うようにしながら抱き寄せる。
「ダメだ。そんなのは許可できない。莉音はこれからもずっと私のそばに置く。絶対どこにもやらない」
「アルフ、超ケチね。すごいダメパパ」
「その言いかたはやめなさい。っていうか、パパじゃない」
援助交際じゃないんだからとぼやくヴィンセントに、早瀬と莉音は笑った。
「僕は莉音くんみたいないい子なら大歓迎だけど、ひょっとすると大好きな人を恋しがって、夜泣きされちゃうかもしれないねぇ」
「え、夜泣き? 僕がですか?」
「そうだ、莉音は私がいないと必ず夜泣きする」
「オウ、それ困るデス。ソータとダブル夜泣き! ワタシお手上げデス」
賑やかに言い合いながらゾロゾロと食卓に戻る。莉音はクスクス笑いつつ、デザートの準備をするためキッチンに向かった。
穏やかな休日の午後。賑やかで楽しい会食となった。
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