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第11話 魂の邂逅【勇樹】

 恋人になって間もなく、相手の生まれ育ちを含む、かなり個人的な事情をよく知るようになったのは、訓志(さとし)だけでなく、勇樹(ゆうき)も同様だった。  勇樹がすぐに気付いたのは、訓志の根深い劣等感(コンプレックス)だった。  その一つ目は「貧困」だ。 「サトシって、珍しい漢字を使うよね。音訓の訓に、こころざし。どんな由来なの?」  何気なく勇樹が聞くと、訓志の顔が曇った。 「……名付けてくれたのは父らしいけど、両親は、僕が物心付く前に離婚したので。母も、出生届を出すとき『サトシにするから』としか聞いてなかったので、どういうつもりで父がその字を当てたかは、分からないんです」  訓志は、その年齢にしては、とてもまめに自炊をしていた。しかも、根菜や乾物を使った、経済的で栄養のバランスの良い、家庭的なお惣菜が得意だった。  彼が用意してくれた、炊き立てのご飯、温かいお味噌汁、卯の花や切り干し大根が並ぶ食卓の風景に、勇樹は軽く感動した。 「……おふくろの味だなぁ。懐かしい……。俺、十代後半から留学して、それからずっと一人暮らしだし、大学院卒業後すぐに母が亡くなってるから。日本の家庭料理を誰かに作ってもらうのは、ほぼ十年ぶりだよ」  感慨深げに味噌汁を啜る勇樹を、訓志は少し不安そうに見守っていた。 「美味(うま)い」  感謝の気持ちを短い言葉に込め、勇樹は訓志に微笑みかけた。 「洒落たご馳走は作れないけど、こんなので良かったら……」  訓志は、ほっとした表情を浮かべ、照れくさそうに微笑み返した。 「こういう、家でしか食べれないご飯が、一番嬉しいよ」  うんうんと何度も確かめるように頷いて、勇樹はありがたく訓志の手料理を平らげた。  以来、毎日のように、彼は勇樹のために料理を(こしら)えてくれるようになった。 「毎日作らなきゃって、義務みたいに思わなくて良いよ」  勇樹は言ったが、 「他に仕事もないし。ちゃんとした家庭料理食べたほうが身体に良いから」  訓志は、さらっと、そう答えるのだった。  一人暮らしが長い勇樹にとっては、家で食事の支度をして待っていてくれる人がいて、一緒に食卓を囲めるのは、胃袋だけでなく、心が満たされることだった。  訓志には、食料品の買い物用にお金を預けるようにしたが、彼は買い物でも一円単位を気にするし、野菜の皮ひとつ簡単には捨てない。 「訓志は料理上手だね」  勇樹が褒めると、 「母が女手一つで、苦労して僕を育ててくれたから。子どもながらに、せめて家事ぐらいは手伝おうと思って」  訓志は、薄い笑みを浮かべるのだった。 「近くに、おじいちゃん・おばあちゃんとかは、いなかったの?」  あまり細かく聞くのは失礼かもしれないと遠慮しつつ、勇樹はさり気なく尋ねた。 「元々、祖父母と折り合いが悪かった上に、反対を押し切って、駆け落ち同然で父と結婚したらしいんです。だから、離婚しても実家には頼りづらかったみたいで」  訓志は、困ったように微笑んだ。  父の顔はおろか、祖父母の顔すら知らずに育った訓志は、幼少の頃、かなり経済的に苦労したのだろうと、勇樹は推察していた。  ホストと言うと、水商売で、売れっ子にもなると派手な暮らしをしているのだろう、と、漠然とイメージで考えていた勇樹だが、付き合ってみると、訓志の金銭感覚は、とても慎ましやかで堅実だった。どうやら稼いだお金にはほとんど手を付けず、実家に仕送りしているようだった。  また、若くて愛らしい彼が、なぜ身体を売っているのかも、当初から気にはなっていたが、その疑問も、恋人になって間もなく解決した。  夕飯時に、たまたま付けたテレビでやっていたのが、アイドル養成番組だった。「何週連続して他の参加者に勝ち抜いたらデビュー」といった企画だった。 「へえ。この女の子が勝ったんだね。俺は、あっちの男の子のほうが、ずっと個性もあるし、歌もうまいと思ったけどなぁ」  勇樹が何気なく口にすると、珍しく、訓志が、神経質そうに鼻で(わら)い、嫌味な言い方をした。 「……こんなの、全部、出来レースだからね。すぐデビューするのは、あの男の子だよ。最後まで勝ち抜くと、あと一か月以上も掛かるじゃん。一週だけ勝って、視聴者にインパクト残して、『あの子、良かったのにね』ってなったとこでデビューさせるんだよ。そのために作ったような番組だよ、コレ」  普段とあまりに違った様子に、勇樹が驚き、無言で見つめていると、訓志は、勇樹の視線に気付き、バツ悪そうに(うつむ)いた。  続けて、彼は、自分が出張ホストになった理由を勇樹に打ち明けた。 「僕、昔、アイドルになりたかったんだ。お母さんが苦労してたから、早く楽にしてあげたくて……。顔だけは『可愛い』って皆に褒められてたからさ。でも、けっこうレッスン代が掛かるんだ。そんなお金、お母さんに出してもらうわけにいかないし。手っ取り早く稼ぎたかったから、年を誤魔化してお客さんをとるようになったんだ。  それなのに、僕、背が伸びすぎちゃった。他の子たちと並ぶと、あまりにバランスが悪くて、商品として規格外だって。それで事務所を首になったんだ。でも、その時には、もう高校も中退しちゃってたし、他にできる仕事もなかったから……」  訓志は、(僕、実態は、こんなだよ)とでも言いたげに、悲しそうに薄く笑った。勇樹と一瞬目線を合わせたが、自分を恥じるかのように、すぐに目を伏せた。  二つ目は「学歴」だった。   自分が出張ホストになった理由、高校を中退した理由を打ち明けて以来、事あるごとに、彼は、自嘲気味に「どうせ僕は頭が悪いから」と口にするようになった。  そんな時の彼は、二十二歳の若さには不相応な疲れた表情を浮かべているのが常だった。  十代後半になったばかりの頃から、社会の荒波に揉まれてきた中で、おそらく、学歴が理由で嫌な思いをすることもあったのだろう。『どうせ』と斜に構えることで自分を守ろうとしているように思え、不憫に感じた。  それに、勇樹から見ると、訓志は頭が悪いわけではなく、単に機会に恵まれなかっただけのように思えた。  勇樹の書斎で寛いでいた時、訓志が何気なく手に取ったのが、ラズベリーパイという、小型で簡単にプログラミングができるコンピューターだったことから、勇樹は閃いた。 「訓志。それ、小さいけど、ちゃんとしたコンピューターなんだよ。プログラミングすれば、音楽プレイヤーとかロボットとして使えるんだ。やってみない?」  勇樹は、悪戯っぽく微笑みかけた。 「えーっ……。僕、頭悪いから無理だよ。プログラミングなんて、やったことないし」  表情をゆがめた訓志の肩をポンポンと叩き、勇樹は、なおも背中を押した。 「訓志だって、やればできるよ。やってみようよ」  勇樹は、最初の設定を手伝い、やり方を簡単に説明し、教科書になりそうな、面白そうなウェブサイトを幾つか教えた。  訓志は、最初こそ少し戸惑い、あれこれ勇樹に訊いてきたが、あっという間にハマり、夢中でプログラムを書き続けた。 「……あれー? なんでうまく行かないのかな……」  ブツブツ言いながらも、その後ろ姿が楽しそうで、勇樹は嬉しく思い、しばらく訓志に好きにさせた。 「できたよー!! 見て、見てー!!」  数時間後、訓志は、飛び上がって、リビングにいた勇樹に抱き付いてきた。 「どれどれ……、おー、ホントだ! すごいじゃん、訓志!」  音楽が鳴るようになったラズベリーパイを手に、訓志は、嬉しそうに頬を紅潮させていた。 「このコンピューターで、カメラとか、センサーとか、携帯電話みたいなものだって作れるんだよ。エンジニアって、そんなに特殊で難しい仕事じゃないって分かったろ?」  勇樹は、訓志の肩を抱き締めた。 「うーん。まだ、僕は、簡単なプログラムを一個作っただけだから。難しくて複雑なものが作れるかは、分からないよ」  訓志は、口ではそう言ったが、その表情には、達成感と少しの自信が伺えた。 (訓志に必要なのは、ちょっとしたキッカケと、機会、そして成功体験だ)  そう気付いた勇樹は、自分の得意分野でもある、英語とプログラミングについて、少しずつ訓志に教えるようになった。訓志も、音楽プレイヤーの完成で味を占めたらしく、次第に積極的に教えを乞うようになった。  勇樹の家のキッチンに溜まっていた、外国の食材を手に取って、インターネットで調べたり、勇樹に食べ方を尋ねたりして、自己流で外国の料理も作るようになった。勇樹は、それとなく、訓志を外国料理のレストランに連れ出した。料理好きな訓志は、食べたことのない料理に、いつも目を丸くし、じっくりと味わい、新鮮な反応を見せた。外で食べたものを家で再現してみることもあった。  勉強する機会に飢えていた訓志は、まるで砂地が水を吸い込むかのように、ぐんぐん知識を身につけて行った。 「僕、今度、英検受けてみようかな。まずは三級だけどね。最近、英語の映画を観てても、ちょっとずつ、聴き取れる言葉が増えてきたよ」  少しはにかんだように言う訓志は、年相応に見えた。  これまでの彼の苦難多い人生と、何かを諦めてしまったような悲しげな眼差しを思うと、今、彼が、年相応の喜びを享受できていることに、勇樹の胸は熱くなった。  最初は、漠然と訓志を気の毒に思うだけだった。  しかし、勇樹は今、『面倒を見る相手が居ること』『自分が相手を幸せにしてあげられること』の喜びを実感している自分に気付き始めていた。  もし、自分に年の離れた弟が居たら、こんな感じだったのだろうか。 (訓志が実の弟だったら、さすがに、セックスはしないだろうけどな……)  勇樹は一人苦笑した。  天涯孤独な勇樹と、  過酷な運命に耐えてきた訓志。  寂しい二つの魂が互いに惹かれ合うのに、時間はそれほど必要なかった。    間も無く二人は、勇樹の家で半同棲するようになっていた。  セックスせず、ただ寄り添って一緒に眠るだけの夜もあった。むしろ、そういう夜にこそ、勇樹は、自分がこれまでいかに孤独だったか、人恋しかったかを、痛感していた。  今夜も、勇樹に身体をくっ付けるように寄り添って隣で眠っている訓志は、あどけない寝顔を見せている。幸せな夢を見ているようだった。  勇樹は、この幸せな温もりは、契約期間が終わったら消えてしまう儚いものだと知っていた。しかし、手に入れたばかりの幸せに浸っていたかった彼は、不都合な事実から目を逸らしていた。  三か月の恋人契約が終わる時。それは、二人の本当のお別れになるかもしれない。  あと何度、訓志を抱いて眠れるだろうか。  恋人になったばかりの蜜月の時期だというのに、勇樹は、切ない思いで訓志の寝顔を見つめていた。

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