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第12話 プリティ・マン【勇樹】

勇樹(ゆうき)って、いつもお洒落だよね。どうして、いつもそんなに、(あつら)えたように服のサイズがピッタリなの?」  訓志(さとし)に感心され、勇樹は気を良くした。 「まさに、誂えてるからだよ。俺、手足が長い割に身体が細いからさ。既製服が合わないんだ。  サイズがきちんと合ってるだけで、服装って、かなりまとまるからね。同じところで繰り返し頼めば、そんなに値段も高くならないし、コーディネートも見繕ってもらえるし。  訓志も、作ってみる? 既存の型紙で生地だけ選ぶイージーオーダーなら、時間もそんなに掛からないし。プレゼントするよ」  勇樹の父親の代からお世話になっているテイラーは、今は、勇樹と同世代の三代目が継いでいる。三代目は、連れて行った訓志のルックスに、目と口を丸くして感嘆の声をあげた。 「うわー! カッコ可愛い、モデルみたいな方じゃないですか! 腕が鳴るなぁ~!」  訓志は、もじもじと借りてきた猫のように大人しかった。  服が映えそうな若い新規客にテンションが上がった三代目と、勇樹で、何を作るか相談して、色や生地を決める時に訓志の意見を聞くという形になった。  普段あまりスーツを着る機会がないことや、訓志の年齢や顔立ち、本人の好みを考慮に入れて、ライトグレーに白のピンストライプのウインドペーンのスリーピースに、白やライトブルーのシャツを仕立ててもらうことになった。 「訓志さんのご注文が完成したら、勇樹さん、ウチの服を着て、取りに来てくださいね。ぜひ、お二人がウチの服を着て並んだ写真を撮らせてください」  仕立ててもらった服が完成したとの連絡を貰い、お店に取りに伺った。おずおずと試着室を出た訓志を、三代目と奥様は、両手を胸の前でグーに握りしめ、目をキラキラさせて見つめた。 「「か、カッコかわいい……っ!!」」  先代が仕立てた、ネイビーのウインドペーンのスリーピースを着てきた勇樹は、満足気な微笑みを浮かべて、三代目にお礼を言った。 「さすが、桜庭(さくらば)さんだ。こんな短期間で、素晴らしい仕上がりですね」 「いやいや……、勇樹さんのスーツは、先代が仕立てたものですよね。僕の技術は、まだ先代には及びませんけど、今回は、素敵な方に着てもらえるんで、いつも以上に力入れて仕立てさせていただきました。……あ、じゃあ、お二人並んでいただいて、お写真、良いですか?」 「もちろん」  勇樹は、訓志の隣に、自然な笑顔でモデル立ちして、囁いた。 「……すごく似合ってるよ。  訓志、ほら。桜庭さんの宣伝のためにも、ここ一番の決め顔しろよ」 「わ、わかったよ。桜庭さんのためだからね」  訓志は、瞬時に気持ちを切り替え、顔とポーズを作った。  パシャ。 パシャ。 「は~……。いや~、これだけ背が高くてスタイル良くてイケメンの二人が並ぶと、迫力半端ないっすねぇ……。想像以上だわ~……」 「あ~、緊張した……。宣材スチール撮影みたいな気分だった……」  訓志の呟きに勇樹が反応した。 「あー、アイドル研修生だった頃の?」 「そうだよ。それ以外で、こんなモデルみたいなの、したことないもん」  訓志が、拗ねたように口を尖らせると、勇樹は、わざとらしく眉を下げた悲しそうな顔を作ってみせた。 「ごめんな。今は、隣に並んでるのが、俺みたいなフツーのサラリーマンで」  ぷっと訓志が噴き出して、二人が顔を見合わせて笑うと、再びシャッター音がした。 「今の、自然なお二人もすごくよかったですよ。写真、焼けたら、勇樹さんのお宅にお送りしますね!」  奥様が、訓志が着て行った服を包んでくれて、そのまま二人は店を出た。 「せっかく服を誂えたんだ。その服が映えるようなところでデートしよう。オペラに行こうよ」  勇樹は「椿姫」のチケットを取っていた。 「訓志、映画の『ムーラン・ルージュ』観たことない? あの映画の元ネタは、ほぼ、この『椿姫』だと思って良いよ」  勇樹が、映画好きの訓志なら観ているだろう、と、参考になるタイトルをあげると、案の定、訓志は速攻で食いつき、目を輝かせた。 「ニコール・キッドマンとユアン・マクレガー主演の、ミュージカルっぽい映画だよね? 観た、観た! 確か、スポンサーのいる高級娼婦が、駆け出しの若い作家と恋に落ちるお話だよね?」 (ドレスアップさせて、オペラに連れ出す。しかも演目が『椿姫』って……。これじゃ、映画『プリティ・ウーマン』そのまんまじゃないか)  勇樹は、一人苦笑した。実は、訓志も、内心全く同じことを思っていたが、恋愛に不器用な二人は、互いに照れが先立ち、口にできずにいた。  事前に伝えた時は、知っている映画と似たストーリーということで、かなり乗り気だった訓志だが、劇場に着いた直後は、着慣れない服、居慣れない場所で、むずがゆそうな顔をしていた。  しかし、幕が開くや否や、オペラ歌手の歌声や衣装、舞台装置、オーケストラの演奏に圧倒され、食い入るように眺めていた。 (アイドルを目指していたぐらいだ。音楽や舞台に興味があるのは当たり前だよな。もっと早く連れて来てあげればよかった)  勇樹は、舞台に夢中になっている訓志の姿が嬉しい反面、少し申し訳なく思った。  第一幕が終わっても、まだ夢見心地でぼおっとしている訓志の肩を軽く叩いた。 「第二幕が始まるまで、少し時間があるから、何か飲みに行こう」  訓志は、興奮冷めやらぬ表情のまま、頷いて立ち上がった。 「……オペラ、初めて観たけど、すごいね……。人間の肉声と、楽器の生の音が、こんなに迫って来るなんて……。曲も素晴らしかった。クラシック音楽って、さすが、何百年も続けて演奏されるだけのことはあるね。すごいや……」  ホワイエでもらったシャンパンで喉を潤した訓志は、頬を紅潮させて、その感動を語った。 「もっと早く誘うべきだったな。気が利かなくてごめん」  勇樹が苦笑すると、訓志は、目を丸くし、顔を勢いよく左右に振った。 「ううん! 僕も、クラシック音楽には、あんまり興味なかったし。中学高校の音楽の授業も、寝てばっかりいたからさ。勇樹、ありがとう! 僕を連れて来てくれて。ああ……。やっぱり、プロの音楽ってすごいなぁ……。もう、感動で、言葉も出ないよ。特に『ああ、そは()の人か』、あの曲が良かったな」 「ん……、どんなのだっけ」 「ヴィオレッタが、アルフレードの求愛にほだされて真実の愛に目覚めていく場面だよ。ちょっと切ない曲で、ほら、こういうの」  (いぶか)し気な勇樹の反応がもどかしかったのか、訓志は、その場でメロディを口ずさんで見せた。勇樹はポカンと口を開けて、まじまじと訓志を見つめた。 「……僕の歌、何か変だった?」 「いや、変どころか。訓志すごいな! うまくて、びっくりしたよ! 当たり前か。ほぼ歌手だったんだもんな? いやー、知らなかったよ。そこまでの才能を隠し持ってたなんて」  感じ入ったように言うと、訓志は照れくさいのか、敢えてツンと顎を上げた。 「これくらい朝飯前だよ。こう見えても、歌もダンスもプロに教わって、数年間、死ぬほど練習したからね」  微笑み合う二人に、後ろから、話し掛けてきた男がいた。 「……お前、サトシじゃないか?」  見るからに成り上がり風情の、六十がらみの小男だった。頭髪は既に薄く、でっぷりと腹周りに脂肪を蓄え、高価そうなスーツを羽織ってはいるが、趣味が悪い上に、その体型のせいで、生地に変な皺が入っている。  その男を見た瞬間、訓志は青ざめた。  勇樹が咄嗟(とっさ)に訓志の前に出ると、その男は、今度は勇樹をじろじろと眺め、下卑た笑みを浮かべて訓志に言った。 「こいつが、お前の今の旦那か? なかなかの色男、(くわ)え込んでるじゃねぇか。場末の淫売(いんばい)のくせに。……そのいやらしいカラダで、たらし込んだのか? ん?」  恐怖と嫌悪、そして、侮辱されたことへの怒り。  訓志は、身体を震わせていた。よほど、過去に酷い思いをしたのだろう。  勇樹は、目の前の男に、冷たく言い放った。 「どういうご関係かは存じ上げないし、教えていただきたくもないが、彼は今、私の連れなので。これ以上話し掛けないでいただきたい。では失礼」  震える訓志の肩を抱いて、その場を立ち去り、客席に戻った。折よく、第二幕が始まるベルが鳴ったので、場内は間もなく暗くなった。訓志の冷たい手を、勇樹は握り続けた。次第に彼の動揺は落ち着き、舞台を見ることはできたが、第一幕の時ほどは、集中できなかったようだった。  あの男に二度と会いたくなかった勇樹は、オペラが終わったら、劇場前でタクシーを拾ってさっさとその場を離れることにした。 「せっかく、初めて誂えてもらったスーツで、初めてのオペラで、すごく楽しい一日だったのに。僕のせいで、台無しになっちゃってごめんなさい」  タクシーの中で、訓志が弱々しく呟いた。 「訓志のせいじゃないよ。あの男の品性が下劣なのは、あの男のせいであって、訓志とは関係ないよ」  勇樹は、優しく、訓志の膝をポンポンと叩いた。 「……あいつ、うちの業界で有名な出入り禁止客なんだ。僕が、今の仕事を始めたばっかりの頃、新人の受付の子が、気付かずにあいつを通しちゃって。僕も、まだひよっこだったから、言われるがままに行って……」  訓志の声と指が震え出したのを見て、勇樹は、優しくその手を取り、宥めた。 「大丈夫だよ、大丈夫。訓志、嫌なことを思い出さなくて良いんだよ」 「もう、六年近く経ってるのに……。こんなに動揺してる自分も悔しいし、あんな侮辱を受けなきゃいけないなんて……。悔しいよ……」  タクシーの外へと顔を背けて、訓志は涙を流していた。そのきれいな顔が歪んでいるのが、窓ガラスに映っていた。  一番傷付いたのは、訓志のプライドだろう。そう感じた勇樹は、強引に訓志を抱き寄せたりはせず、繋いだ手を、自分の膝の上でポンポンと上下させた。 (俺が傍にいるよ) 傷付いた彼に、そう伝えたかった。

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