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第14話 秘密【勇樹】

 元カレと別れたのは一月。とても寒い日だった。訓志(さとし)とは二月の初旬に横浜で初めて会い、桃の季節に恋人同士になった。  そして今は五月。季節は、春から初夏に移り変わる寸前。  勇樹(ゆうき)は、久し振りに大学・大学院時代の友人と会う予定だ。  彼女は、勇樹と同じ大学・大学院を卒業し、今はグローバル企業の日本拠点で働いている。お互い都合がなかなか合わず、「会おう」と連絡を貰ってから二か月近く経っていた。おそらく彼女は、勇樹が元カレと別れたことを聞きつけ、心配してくれている。  旧い友人の気遣いは、ありがたかったが、幾ら親しくても別れた直後に傷に触れられたくなかった勇樹にとっては、猶予が貰えて正直ホッとしていた。  旧友・麻里(まり)は、カジュアルなパンツスーツ姿で待ち合わせたバーに現れた。 「……元気そうね。アイツに振られて凹んでるかと思ってた」  眉を片方だけ吊り上げ、彼女は椅子に掛けるなり、開口一番ズバリと切り込む。  勇樹は、旧友なりの思いやりと、その単刀直入な物言いの変わってなさに苦笑した。 「麻里、そういう無遠慮な物の言い方、変わってないな。どこかから、アイツと別れたって聞きつけて、様子を窺いに来たんだろうって、予想はしてたけどさ」 「どこかからも、何も。自分の結婚式に来てくれって、アイツ本人が連絡してきたのよ! 面の皮が厚いにも程があるわよ!  私、てっきり、勇樹と結婚するのかと思ったんだから。『勇樹とも長い春だったけど、いよいよね。おめでとう』って言ったら、アイツ急にキョドり出してさ。別の人とだって言うから、訳が分かんないじゃない? 『えっ? 勇樹と付き合ってたんじゃなかったの?!』って問い詰めたら、ますますキョドっちゃって。幾ら無遠慮な私でも、さすがにそれ以上は聞かなかったわ。 『ごめんなさい。その日は、夫の親族の慶事が重なってたわ。お二人の幸せを祈ってるわね』ってニッコリ返事したわよ。  はらわた煮えくり返ってたけどね。  アイツって、昔からそう。いつもフラッと勝手に出て行って、気が付いたら帰ってきて。何回、勇樹と別れて復縁したか、本人ですら覚えてないんじゃないの? ……勇樹、あんたホントにお人好しなんだから」  麻里は一気にまくし立てた。最初は勇樹の元カレに憤慨していたが、最後は勇樹を思いやる眼差しを見せている。 「心配してくれて、ありがとう。別れてから三か月経ってるからね。だいぶ落ち着いたよ。それより麻里、次もビールで良いの?」  勇樹は苦笑しながら、麻里の前に置かれた空のグラスを指差した。  麻里が無言で頷いたので、勇樹は手を挙げて、麻里と自分の飲み物のお代わりを注文した。勇樹の様子をじっと無言で窺っていた麻里が、二杯目のグラスを手に、低い声で呟いた。 「勇樹。あんた、もう新しい恋人いるでしょ」  飲みかけたジントニックを噴き出しそうになり、勇樹は慌てておしぼりで口元を押さえた。 「図星ね」  目を細めて腕組みをしている彼女が、このモードに入るとしつこい。早いところ白状した方が良い。長年の付き合いで勇樹は心得ていた。 「何度かデートしてる相手はいるよ。まだ正式に付き合ってる訳じゃないけど」  当たり障りなく、必ずしも嘘とも言えない無難なところに勇樹は話を持って行った。 「どんな人?」  麻里は少し表情を和らげ、ビールをぐびっと大きく一口飲む。 「すごく優しくて可愛い人だよ。若いけど、苦労してきてるから金銭感覚もしっかりしてるし、家庭的なんだ。料理もうまいし」  勇樹がそう言うと、麻里は目を丸くした。 「あら、良いじゃない! 理想的なお嫁さん。勇樹、もう、その人にしちゃいなさいよ」 「お前……、親戚のおばちゃんかよ (笑) まぁ、親戚のおばちゃんすら居ない俺にとっては、おせっかい焼いてくれるお前は、ありがたい存在ではあるけどさ。  良い子だよ、それは間違いない。だけど、俺たち共通点が全くないんだ。彼は、俺より一回りも年下だし、本人も気にしてるけど高校中退だし。今の仕事も、飲食業っていうか接客業で、バイトみたいな感じだし」  勇樹の言い訳めいた話を、麻里は口を挟まず黙って最後まで聞いていた。そして、優しい目で勇樹を見つめながら言った。 「それ、全く問題とか障害に思えないよ」  勇樹が「でも……」と言いかけると、麻里は首を左右に振る。 「一回りの年の差? 私と旦那だって一回り離れてるよ。今時、その程度の年の差カップルは全然珍しくないよ。  大卒じゃないのは、家庭環境の問題なんでしょ? ホントに知性がない子だったら、勇樹、二回以上その子とデートしてないわよ。  自覚してないみたいだけど、勇樹は、貞操観念が緩いアイツのことは許せても、知的レベルが合わない人には恋愛感情持てないタイプだもん。もし疑うなら、試しにホントに頭悪い子と一回デートしてみなさいよ。たぶん一、二時間で音を上げて『もう勘弁してくれ』ってなるから」  ぐうの音も出ず、複雑な表情をしている勇樹を、麻里はニコニコと眺めている。 「実はね、今日ここに来て勇樹の顔を見た瞬間、『あっ。もう新しい恋人がいるな。しかも、お相手は良い人そうだな』って思ってたの。  勇樹の雰囲気とか表情、すごく柔らかくて幸せそうになったもの。あんたが辛かった時、優しく手を差し伸べてくれた人なんでしょ? あーだこーだ頭で考えてると、せっかくのチャンス逃すわよ。ちゃんと彼を捕まえなさい」  旧友に力強く背中を押され、勇樹は思った。  重いコートやセーターを脱ぎ捨てて、軽やかな夏物に衣替えをするように、当時は胸を引き裂かれるようだった失恋の思い出も、そろそろ季節外れにしても良いのかもしれない。  しかし勇樹は、やっぱり素直に喜べなかった。  ベッドで、訓志に「ヒョン」でなく「勇樹」と呼ばれるようになり、ようやく剥き身の心を自分に開き始めてくれたような気がして、嬉しかった。  一方、呼び名が変わると同時に、訓志が「好き」と言ってくれなくなったことが気になっていた。以前は、あんなに毎日、甘い声で囁いてくれていたのに。  そして、今もなお、勇樹は、自分の訓志に対する気持ちが、愛なのか、単なる同情なのか、確証が持てずにいた。  何より、勇樹の頭を悩ませていたのは、訓志に言い出せずにいる、自分の重大な秘密だった。  皮肉なことに、彼の秘密は、彼自身の口からよりも早く、一通の郵便により訓志の知るところとなった。いつものように勇樹の家の郵便受けをチェックした訓志は、自分の目を疑った。 「……なに、これ」  呟きながら、その封書を手に取った訓志は、自分の手が震え出したことに気付いたが、あまりの動揺で、身体の震えを止めることすらできなかった。

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