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最終話 今夜君は僕のもの

 帰省シーズンでもなければ、観光シーズンにはまだ早い。  長野方面行きの高速バスには、両手で数えられるほどしか乗客はいない。その空席の多さに寒々しさや寂しさを感じ、訓志(さとし)は深い溜息をついた。(まぶた)が腫れぼったくて重怠(おもだる)い。昨夜から散々泣いたせいだろう。 (暗い表情で溜息をついて、きっと、周りの人たちには『この子、失恋でもしたのかな?』って思われてるんだろうな)  彼は薄く苦笑した。  急に他の乗客たちが、がやがや騒ぎ出した。若い女の子が黄色い声で、後ろの列に座っている自分の友達に向かって小さく叫んでいる。 「見て見て! 大っきい薔薇(ばら)の花束持ったイケメンが走ってる!」 (…………え?)  外に目を向けると、そこには、他でもない勇樹(ゆうき)の姿があった。会社帰りなのか、スーツ姿で、赤い薔薇の巨大な花束を持っている。  慌てて顔を引っ込めたが、勇樹は既に訓志の姿を認めたらしい。 「さとしー! 待ってくれー!!」  彼は大声で叫んで、訓志の乗るバスに向かって走ってくる。   (ちょ、ちょっと……。ただでさえ、背が高くてイケメンで目立ってるのに。なんで、そんなド派手にアピって来るんだよ……!)  冷や汗をかきながら、なるべく他の乗客の目に付かないように、こそこそ訓志はバスを降りた。 「はー……。マジ、きっつ……。三十過ぎてから、こんなに必死で走ったの、初めてかも……」  訓志がバスを降りてきたのを見届け、ホッとしたのか、勇樹は、膝に手を当てて前屈みになりながら、ゼイゼイと喘いだ。  荒い呼吸が少し落ち着いたら、姿勢を正し、勇樹は真剣な表情で訓志を見詰めた。 「メールも送ったけど、直接言わせてくれ。  アメリカ行きのこと、訓志に話してなくて、悪かった。でも、俺が話さなかった、話せなかった理由は、決して訓志を軽んじてたからではないんだ。  むしろ、逆なんだ。  もし、俺が日本に居なくなっても、訓志にとっては全然何でもないことだって言われたら。君にとって、俺がどうでも良い存在だと言われたら。そう思ったら、怖くてどうしても言えなかった。  俺が弱虫だったから。自分が傷付きたくなかったから、ちゃんと訓志に言わなきゃいけないのに逃げてたんだ。  本当にごめん。  このことだけは、どうしても伝えたかったし、謝りたかった」  勇樹は、訓志に深々と頭を下げた。しかし訓志の表情は硬く、勇樹と目線を合わせようともしない。少しためらいながらも勇樹は続けた。 「……それと、卑怯ついでに。今更だけど、もう一つ告白する。  俺は、初めて会った日から君が好きだった。  だけど、君と付き合いたいって正直に言えなかった。こっぴどく振られた直後で凹んでたから、また傷付くのが怖かった。だから、元カレをダシにして、優しい君の同情を買おうとしたんだ。俺だけを見てほしかった。でも、自信がなかった。だから、専属契約なんて口実を考えたんだ」  訓志は無言で俯き続けていたが、『初めて会った日から好きだった』と告白された瞬間、ハッと顔を上げ、驚いたように目を丸くした。  勇樹は、困ったような悔しそうな複雑な表情を浮かべていたが、口元には笑みを浮かべている。 「こんな情けない男で、訓志はもう俺に愛想が尽きてるかもしれないけど……。今、言わないと一生後悔するから、最後に一つだけ言わせてくれ。  あと一度だけで良い……、俺と契約してくれないか」  訓志は目線を逸らし、眉をひそめて訊いた。 「……期間は?」  勇樹は、きっぱり言い切った。 「死が、ふたりを分かつまで」  訓志は、その言葉に息を呑み、目を閉じた。睫毛と唇が細かく震えている。 「…………ギャラは?」 「俺の全て」  さらりと、当然のように言ってのけると、勇樹は静かに訓志に微笑みかけた。  大きく息を吐いた訓志は、ようやく勇樹の目を見つめ返した。その瞳は、今にも零れ落ちそうなほど、涙を(たた)えている。無言のまま唇を震わせ、その揺れる感情を落ち着けようとしているようだった。  勇樹は忍耐強く、訓志の次の言葉を待つ。  訓志は、小さく震える声で訊いた。 「…………それって、プロポーズ?」 「そうとも言う。  ……訓志、愛してる。君のいない人生は、もう考えられない。俺と結婚してほしい。アメリカに一緒に来てくれないか。  Will you marry me?」  勇樹は、薔薇の花束を訓志に差し出した。訓志は無言のまま受け取った。 「返事は?」  勇樹は、優しく訓志に問いかけた。 「Yes…… yes, I will.」  訓志は、大粒の涙を花束の上に零しながら、しかし、はっきりとプロポーズに返事をした。  訓志が自分のプロポーズを受けてくれてほおっと大きく息をついた勇樹は、頬を緩め、花束ごと訓志を優しく抱きしめた。 「おとぎ話のハッピーエンドみたい。なんか信じられない」  震える声で訓志は呟いている。 「俺も信じられないよ。三か月前は、長年の恋人に振られて死にたいくらい悲しかったのに。こんな可愛い運命の人に出会えるなんて」  勇樹は唇で訓志の涙を吸い取った。 「……なんで、こんな大きい花束持って来たの? バスに向かって走って来る勇樹、もはやカッコ良いを通り越して、周りの注目集めすぎて。僕、ちょっと恥ずかしかったよ」  訓志が照れ隠しのように言うと、勇樹は拗ねたように少し口を尖らせた。 「だって、リチャード・ギアも薔薇の花束持って駆けつけたじゃん。この状況で迎えに行くなら要るかなと思って。そしたら花屋が、プロポーズするなら百八本にしろって言うからさ。  ……俺の人生最後のプロポーズぐらいは、カッコつけさせてくれよ」  二人は、微笑みながら見つめ合い、熱い口付けを交わした。 *** 「おおーっ」  高速バスの中から、固唾を飲んで事の成り行きを見守っていた乗客たちは、二人の抱擁と口付けを目にし、幸せな結末を知った。ほぼ全員が控え目に拍手をし、二人を祝福した。 「あの子の荷物は、下ろしてあげた方が良いよね?」  訓志の近くの座席に座っていた乗客が言い出す。 「おー、そうだそうだ」「間違いない」  周りの乗客たちも口々に、力強く頷いた。  こうして通りすがりの人たちの善意により、訓志のボストンバッグはそっとバスの外に下ろされた。それを見た乗務員は、慌てて、訓志のスーツケースを貨物室から下ろした。  二十時の高速バスは、カボチャに戻ることはなかった。そして、勇樹のシンデレラを乗せずに出発した。  シンデレラは、彼の腕の中に留まった。  They lived happily ever after. (二人は、いつまでもずっと、幸せに暮らしたのでした。)          期間限定の恋 (完)

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