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第2部・第1話 新世界へ
「当機は、間もなく着陸態勢に入ります」
成田=サンフランシスコ間の九時間余りのフライトは、終わりが近づいてきたようだ。フライトアテンダントのアナウンスに、訓志 の胸は高鳴った。
(もうすぐ勇樹 に会える……!)
訓志にとっては、生まれて初めての海外渡航だ。そわそわと真新しいパスポートを胸に抱き締める。出張ホスト時代最後のお客様となった勇樹に、家族としてアメリカ転勤についてきて欲しいとプロポーズされたのは半年前だ。その場でイエスと即答したが、婚約者ビザが下りるまで、一日千秋の思いだった。
無表情な入国審査官にパスポートを差し出すと、彼女は、訓志のビザに気づいた。
「……この国に婚約者が?」
彼女は顔を上げ、訓志に問いかける。
「はい。アメリカ市民と結婚するために、渡航してきました」
事前に何度も練習した英語のフレーズを、ゆっくり口にすると、彼女はにっこり微笑み、スタンプをいくつも押したパスポートを返してくれた。
「ご結婚おめでとう。お幸せにね」
窓のないイミグレーションを抜け、スーツケースをピックアップする。自動ドアが開いた瞬間、カリフォルニアの抜けるような青空と、強い日差しが飛び込んでくる。訓志は眩しさに目をひそめた。
何よりも輝いて見えたのは、最愛の人・勇樹の笑顔だった。
百八十四センチの長身と、細身ながらもジムで鍛えて筋肉がしっかり乗った身体つきは、アメリカ人の中に混じっても全く引けを取らない。元々やや地黒ではあるが、少し日焼けしたようだ。彼は目尻を下げ、嬉しくてたまらないという表情で、大きく手を広げて訓志に歩み寄る。そのまま訓志のお尻の下に腕を回して抱き上げ、その場で何度か回ってみせた。
「よく来てくれたね、訓志。あー、夢みたいだ」
訓志を地面に下ろすと、感極まった口調で、今度は、抱き締めて何度もキスをする。
「ゆ、勇樹……。嬉しいけど、いきなり激しすぎだよ。いくら、ここがアメリカだからって」
人目を気にして一応軽くたしなめるが、訓志の声も弾んでいる。控えめながらも、勇樹のキスに応えており、本気でやめさせる気がないのは明らかだ。新天地で最愛の人との生活を始める喜びと興奮で、二人は自然に頬を紅潮させていた。互いの顔や髪、身体に優しく触れ、甘い囁きをひとしきり交わす。
(さすがアメリカ、さすがカリフォルニアだなぁ! 男同士が公然と抱き合ってキスしてても、誰も気にしないんだな)
横目で周囲の反応を見ながら、訓志は、噂には聞いていたカリフォルニアの土地柄を目の当たりにし、したり顔で小さく頷いた。
「さ、じゃあ、クルマ停めてあるから行こうか」
勇樹は手慣れた様子で、訓志が持参した重たいスーツケース二個をテキパキとカートに乗せた。片手でカートを押し、当然のように、もう一方の手で訓志の腰を抱き寄せる。思わず周りを見渡すと、比較的若いカップルは皆似たような雰囲気だ。どうやらこの国では、カップルの愛情表現は日本より遥かに情熱的らしい。隣の勇樹も平然としているのだから、ここはひとつ、郷に入っては郷に従おう。訓志も、勇樹の背中に手を回した。
勇樹の運転する車は、フリーウェイを一路南へとひた走る。訓志は物珍しげに周りの景色を見渡した。
「面白い? この辺、山しかないだろ。サンフランシスコの市街地は都会だけど、サウスベイも、あ、シリコンバレーのことをこっちの人はそう呼ぶんだけど、ド田舎だから。訓志、驚くなよ」
「いや、だって、山とか、木っていうか草? 日本とは全然景色が違うよ。気候も、空気の匂いも違う」
新しい家に連れて来られた猫のように鼻をひくひくとうごめかせ、警戒するかのように周囲を見回す訓志の姿に、勇樹は目を細めて愛おしげな表情を浮かべている。
「訓志が、こっちの生活を気に入ってくれたらいいな」
素直な愛情が溢れる言葉に、訓志は頬を軽く染め、照れ隠しに窓の外に顔を向けた。
「まず、勇樹のアパートに行くんだよね?」
「うん。長いフライトで疲れただろ? 荷物も置いて少し休みなよ。落ち着いたら、近所に必要なもの買いに行って、昼飯にでも行こうぜ」
「勇樹のアパートって、どんなとこかな。楽しみ。送ってもらった写真見ると、すごく立派そうだよね」
「まぁ、サウスベイの単身のエンジニアが住むには標準的じゃないか?
……あ、そうだ。今のアパート、短期でしか契約してないんだ。訓志が来るまでの仮住まいだと思ってたから。せっかくの新婚生活だからさ、一軒家を借りようぜ」
「えっ、もったいないんじゃない? 二人しかいないのに」
驚いて訓志が答えると、勇樹は拗ねたように口を尖らせた。
「だって、アメリカのアパートってさぁ……、壁が薄いんだぜ?」
「もう……。勇樹ったら」
遠回しに、隣近所をはばかるほど熱烈に愛し合いたいと言われ、訓志は頬を赤らめた。
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